一時は4万人にまで増えたという

ロサンゼルス在住の日本人及び日系人。

島国から、海を渡り、行き着いた先での

慣れない生活に必死だったのでしょう、

アメリカ社会において次第に成果を上げるようになりました。



しかし、そのことが、1924年の排日移民法の成立へとつながります。

排日移民法とは、日本人のアメリカへの移民を実質的に制限するもの。

この立法により、

日本人は実質的にアメリカへ移り住むことができなくなりました。


昨今のグローバル化、その一環としてのTPPへの加入が議論され、

ヒトの移動がさらに加速することが予想される今後の日本。

そして、そのような時代の中で行われるヘイトスピーチ。

およそ100年も前に海の向こうで上記のような立法の対象となった国として、

今の時代ををどう生きるか。

グローバル化の要請に、不可欠な議論だと思います。


さて。

排日移民法からおよそ20年。

真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争の最中、

1942年からは敵国民である日系人の強制収用が始まります。

その後、1944年からは、収容所にいる日系人(日系2世が主)もまた、

アメリカ軍の徴兵(志願兵)の対象となりました。


日本も、日韓併合下において

朝鮮人(分断前なのでこのように表記します)

を徴兵(志願兵)の対象としていますが、

この場合、敵国は自分の両親の母国ですから、

複雑な思いであったことは、

想像に難くありません。





ロサンゼルスの全米日系博物館には、

アメリカ軍のために命を落とした日系人の名前を刻んだ碑があります。





第二次世界大戦に限られず、朝鮮戦争、ベトナム戦争なども含んでいるその碑に

刻まれた名前は、

沖縄出身の方と思われる名前が多くありました。

戦前、沖縄からアメリカ本土に渡った方は多くないようですが、

今の沖縄の状況とあいまって、複雑な思いがしました。

リトルトーキョーにあるこの全米日系博物館。

日系人の方が運営されていることと推測しますが、

それでもアメリカにおいてこのような碑が存在していることの意味。

日本人として、嬉しくなりました。



「歴史は繰り返す」という言葉。

それは、結局「人間」という存在に起因する事象は、

いつの時代でもあまり変わることがないことを意味しているのだと思います。

そして、それは当然、「人間」に起因している以上、

「国籍」という近代的な枠組みに限られません。


時代は、国籍という近代的な枠組みを残しつつ、「グローバル化」が進みます。

「ヒト・モノ・カネの移動」のみならず、

他国の歴史が日本でも、そして日本の歴史が他国でも

繰り返さえられるということを身をもって認識する必要がある。

そんな時代が来ているのかもしれません。