image

私の深い深いとこの想い。

 

 

昨日の音声

 

音声版その①

音声版その②

 

YouTubeアップ版①

YouTubeアップ版②

 

 

ふぁっと言葉がふってきたのが

9月。そこから実際に行動するのと

同時進行で自分に向き合って

ひたすら自分の感情をほりほり

すること数か月。

年末年始は更に集中して

ほりほりかきかきひきこもる事2週間

 

 

定期的に人に聞いてもらって

更に不明確な部分を掘って掘って

 

 

 

 

自分の根っこの

奥底ふかーくに

あったものって

 

 

 

 

実は

 

 

 

 

 

父親と一緒に仕事がしたかった。

 

 

 

 

 

 

これでしたあせる

 

 

自分でもこんな言葉出てくると思わなくて。

 

 

とても意外な感情で。

 

 

 

 

 

 

でもこれが出てきた時に

いくら書いても書いても

なーんかしっくりこなかった事や

なーんかこれ違うよね・・・

って部分がぜんっぶ

スカーーー!!

っとスッキリ抜けたんです。

 

 

 

 

 

我が家は父親も母親も

物心ついたころから自営業

 

 

 

母親は美容師

父親はお花のラッピング資材を

販売する会社を経営していました。

 

 

 

 

1階に母の美容室と

父の会社の事務所があるという

ちょっと変わった環境で育って

 

 

 

常にいろんな人が家に出入りする

事が普通の中で育ったことが

今の私を創り出している

という事も過去をさかのぼって

わかった事。

 

 

 

 

高校の時に

通信教育で美容学校に通ってみたり

かといってそのまま

美容の道に進むのかと思ったら

普通に短大受験して進学しちゃって。

 

 

 

 

人と接する仕事が好きだったので

接客業に就職して

3年目の終わりに

家の仕事を手伝ってほしいと

言われて、働いていた職場をやめて

家業を手伝う事になりました。

 

 

 

 

おだやか~な母が営む

美容院ならまだよかったかもですが

思ったことはなんでも口に出す

父親の仕事を手伝っていたので

毎日毎日ケンカの嵐。

 

身内だから思った事を余計に

気に入らないことは目につくし

思った事はパンパン言っちゃって。

 

 

 

手伝うって言って実家に帰ったものの

ストレスで夜は出かけて

ばっかりでしたねーあせる

(愛媛の田舎なので車走らして

海でぼーっとするくらいでしたがてへぺろ

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで

毎日どたどたしながらも

実家で仕事を始めて

半年経った時

 

 

 

 

 

 





 




 





 

父親が突然亡くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 


 

あまりにも突然の事すぎて

まだ50歳でめちゃくちゃ元気だったし

私も23歳でまだ死を意識する事なんて

これっぽっちも無くて。

 

 

毎日ケンカばっかりしてて

一緒にいたのにろくに

仕事以外はろくに話をすることも無くて。

 

 

 

 

 

 

父親が亡くなったという

悲しさに浸る間もなく

社長がいなくなった会社で

お客さんへの対応をしなくてはいけなかったし

泣いて送り出す間もなく

会社の支払いもやってくる。

 

 

 

 

電話が鳴ってお客さんだと

毎回同じやりとり。

 

 

『どうしたの?突然!!

どこか悪かったの?

どうなったの?お葬式はいつ?

これから注文はどうしたらいいの?』

 

 

 

 

そんなの私が聞きたいわ。。

 

 

 

決める社長がいないんだから

私だってどうしたらいいかわからない。

 

 

泣いて泣いて目を腫らしながら

それでも父がお世話になった

お客さんだからと兄と必死で対応していました。

 

 

 

 

 

 

母も兄も

泣く暇なんてなかったし

思い出に浸る暇もなかった。

 

私はあの時ただの従業員だったし

経営者としての立場なんて

全く知らない子供でした。

 

 

 

父が亡くなって21年

毎回新しい期が11月1日からスタートで

期末の10月31日が父の命日です。

 

 

 

頑固だったけど

口も悪かったけど

私の事けなしてばっかりだったけど

大事な時にはしっかり守ってくれる

父が大好きでした。

 

私も父の性格にそっくりなので

お互い意地の張り合いで

うまく気持ちを伝えられませんでした。

 

 

 

 

 

 

お葬式が終わって

父が骨になって家に戻り。

会社の後片付けも終わった時。

 

 

 

 

父親の事務所の机の引き出しから

私が20歳で就職した初給料で

父にプレゼントしたお財布が出てきて

財布の中には私がその時一緒に書いて

贈った手紙が小さく折りたたんで

入っていたのを見たとき

初めてものすごい悲しみがこあげてきました。

 

 

 

 

 

21年も経って

ほんとに今頃!?って感じですが

父親が死んだ事を受け止められないまま

今まで感情にふたをしていた事

今回ようやくわかったんです。

 

 

 

 

 

 

わたしはもっと父親と一緒にいたかった。

もっといろんな話がしたかった。

今なら同じ経営者として

もっともっといろんな話ができるのに。

私も父みたい(父と一緒)に

仲間を作って仕事がしたい。

みんなで作戦立てて

ワイワイしたい。

 

 

 

そういう思いがあふれてあふれて

止まりませんでした。

(今も書きながら号泣してます笑)

 

 

 

 

 

 

物理的に

もう一緒に仕事をする事はできないけど

私の事はいつもどこかで

見守ってくれていると思うし

父親みたいな経営者の先輩も沢山できた。

 

 

カキカキほりほりをして

自分のやりたい事が見えてきたのも

1つ大きな出来事でしたが

 

今日書いている父への想い。

 

 

 

蓋して蓋して

ぎゅーぎゅーっと

押さえつけてきた感情に

気づけて、それを理解して

自分が受け止める事ができたのが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の

カキカキほりほりで

一番でっかいでっかい

出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はーーー書いてスッキリ

んでめちゃ疲れたチュー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物販女子まき公式LINE@

友だち追加

 

 

 

 

宝石赤物販女子まき自己紹介宝石赤

 

 

密かに人気の黒歴史シリーズ

ドクロ裏自己紹介もどうぞドクロ

 

四畳半に居た頃の話

塩を眺めていた話

引越した時洗濯機も冷蔵庫もエアコンもなかった話

 

 

このブログを書く前の

7年間をまとめた記事