ども。
人は見たいものしか見ていない、という話。
新型コロナウィルスのワクチン接種、3回目の副反応で、
せっかくの連休、せっかくの自身の誕生日もグダグダな時間をすごしております。
さて、全く関係ありませんが(笑)、
「人は自分の見たいものだけを見て、自分の世界を作っている」
という実例がありますので、書いてみたいと思います。
小生、最近の仕事柄から目を酷使するため、従来使用していた眼鏡に違和感を感じ、
実際「遠近両用」であるのに細かな視力が落ちてきていることを感じておりました。
このため一念発起、眼鏡を新調するとともに、「遠近分離」して2つの眼鏡を使い分けることにしました。
ということで、従来使用していた遠近両用の「これ」から、
近眼/乱視用の「これ」と、
老眼用のこれ、
を購入しかけかえました。
が、しかし・・・・・、
だかしかし・・・・・、
使用し始めてからひと月になろうかと言うのに、
誰からも「眼鏡変えましたね!」とか、
「眼鏡、どうしたんですか?」とか、
ましては「良くお似合いですよ❤」とか、
全く触れられることもなく、
つまらないので自ら眼鏡を変えたことを白状し、その理由を話してみたのでのですが、
誰もかけ変えたことすら、気がついていない始末。つまりは、
①誰も小生の顔を注視していない。
②誰も小生の変化を気にしていない。
③誰も小生の存在すら意識していない。
なのだが、いちばん怖いのは③。
彼らの世界においては小生の変化などどうでも良いことなのだ。
ひょっとしたら小生自体が存在していないのかもしれない(なんてことはオカルト過ぎるがw)。
ともかく、小生も含めて事象の発生や変化を認識するのは「自分が見たいから(感じたいから)」であって、
興味のないことは存在を認識すらしていないのだ。
故にネガティブなことが周りに多いのはネガティブに興味、注意を払っているからであり、
ポジティブに興味、注意を払っていれば、ネガティブの中にも前向きなことがあることを発見出来るのだ、
と思う。
それではどうぞ。
思ったよりも寂しくない ― 櫻坂46
オジサンの場合、’’ほのす’’が
「考えすぎないで♪」
と胸に手を当てて、笑顔で歌ってくれるだけで、
それでもう充分なのだ(恥)。
でわでわ。


