「ラ・ラ・ランド」映画でしか表現できない至福の時間 | 人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

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ネットの海を漂う吟遊詩人になって
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クラシックなミュージカル映画のエキスを随所に散りばめながら、32歳のデミアン・チャゼル監督の

若き感性によって、現代風にアレンジされたイマジネーション溢れる作品として、本国のアメリカ

では高く評価された「ラ・ラ・ランド」ですが、日本のレビューを読むと、キャッチーな楽曲が少なく、

主役を演じたライアン・ゴズリングとエマ・ストーンのダンスと歌がイマイチで、ミュージカル映画と

しての魅力に欠けるという意見が数多く見受けられます。

私も最初に見た時には同じような感想を持ちましたが、主人公が歌手やダンサーではなく女優と

ジャズクラブのオーナーを夢見ている設定なので、ダンスや歌よりも演技力を重視してライアンと

エマ(アカデミー賞の最優秀主演女優賞受賞)を配役した事は正解で、“City of stars”のデュエットで、

ライアンが歌詞の長さに息が続かずに、二人が顔を見合わせて思わず苦笑いしてしまうアドリブを、

そのまま生かしたり、“A Lovely Night ”のぎこちないダンスによってコミカルさが引き出されたりして、

主人公が等身大のリアルさで伝わる効果を上げるのに成功しています。このように本作は、大胆な

場面構成や緻密な伏線を張り巡らせたシナリオが最初にあって、それを基にして音楽的要素が

加えられているので、楽曲を単体の物として別個に扱うのではなく、歌詞やダンスがストーリーの

流れの一部として違和感なく融合されていて、それを理解して観直すと、ミュージカル映画に対して

持っていた固定観念が取り払われて、すべての楽曲が映像と一体化して心を捉え始めたのでした

(今では、サントラ盤を買って毎日のようにリピートしています)。

 

「ラ・ラ・ランド」は夢追い人を描いた映画で、ファンタジーとリアルさが程良くシェイクされた、映画で

しか表現できない至福の場面が数多く用意されています。それが現実離れしているからと言う理由で

批判の対象にしている人がいますが、私たちは現実の残酷さを知っているからこそ、ひと時でも

夢の世界に逃避したいという思いで、映画を観ることもあるのではないでしょうか。

また、ストーリーが単純でつまらないと言う意見もありますが、ストーリーに縛られることが無いから、

大胆な映像表現が可能になったわけで、映画は言葉ではなく映像と音で表現する芸術であることを、

映画の歴史を作って来た名監督と同じようにデミアン・チャゼル監督は良く知っていて、それが

映画愛と言う形になって、私たちに伝わって来るのではないでしょうか。