今年21本目のアマプラ映画…今回は「墨攻」でした。

 

 

紀元前約500年、今から2500年以上前の中国の思想家、諸子百家の一人である墨子の思想を受け継いだ墨家からやってきた助っ人の革離が、大国趙によって攻められた小国梁を救うために活躍するという物語です。原作は日本の小説、そして漫画、いずれも名作ですので、知っている人も多いと思います。

 


墨子の思想というのは「非攻」を柱とします。そのため攻められる側の国を守ることを積極的に行います。どうやら墨家は各国に大臣も何人も送り込んでいて、この「非攻」の思想の実践にもあたっていたようです。中国は思想の国ですから、思想を軸とした知識人階級でもある名家やその一族が各国をまたがって連携した力をもっています。このあたり日本の歴史にはあまりない部分なので実感がもちづらいところだとは思います。ちなみに墨家は、どうも春秋戦国時代には儒家と並ぶくらいの大きな力があったようです。どうやって戦争のない世の中を実現するのか?というのは戦国時代の中国において思想家の間での1つの主要テーマであるように僕は考えています。そして思想とは未来を先取りするものだと僕は思っているのですが、墨子の思想は2000年以上先の未来を、例えば日本国憲法9条や、国連の唱える集団安全保障のような考えすら先取りしていたかのようです。ただその思想があまりにも早すぎたせいか、その後秦が中華を統一する中で墨家は歴史から姿を消し、儒家が中華の思想のメインストリームになることは、周知の事実です。

さて物語は墨家からやってきた革離が10万を率いる趙の巷淹中相手に知略をめぐらせ、獅子奮迅の活躍で撃退をしていきます。それにしても中国の制作する映画の攻城戦の迫力のあること…これは2006年の映画ですが、すごい数のエキストラとセットを導入しています。軍隊の迫力をみせるのに必要なのは圧倒的な数なんですね…。革離と対峙する巷淹中も戦場に生きる気骨ある軍人として描かれます。攻城戦はこの二人の戦いでもあります。
一方で、為政者である梁王は、権力者の非常さ、残酷さ、自分勝手さを、これでもかとみせつけてきます。中国一の美人とまで言われるファン・ビンビンが演じる逸悦を貶めるために処刑前に予め喉を切り取っておいて、最後にいいたいことはないか?と問うシーンなど、この王の性格を端的によく表しています。農民の状態と心情もよく描けていると思います。虫けらのように軽く扱われ、常に動揺し右往左往する存在をきちっと描いている。為政者の残酷さ、戦争の悲惨さ、「非攻」を説く墨子の思想の脆さ…それらを映画としてとてもよく描けているなと感心する作品でした。それにしても中国やローマのような大国(大陸)には豊かな思想がある。その思想の上に、かつての思想の延長線上にいまの世界があると言っても僕は過言ではないと思います。

 

 

随分寒くなってきましたね。クリスマスももうすぐやってくるのかな…今年も…いいクリスマスになるといいなぁと思ったり。