小説「あの1投が」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

アンチャンが引く焼き鳥屋台で愚痴をこぼしていたら、いつの間にか彼はのれんを下ろして、ガスも止めてしまって、やってくる呑んだくれには、
「あ、今日は閉店」
と軽く言って流していた。私はカウンターの中でびたびたに泣いていた。
負けるくらいなら、あの子を出してやれば良かった。
高校で弓を教えるボランティアコーチをしている。
「的前では外す奴が負ける」
至極当然なのだけど、そのために高校で当てるための弓を叩き込まれた私は、大学で正しい型を重んじる師範に出会い、かんったんに、自分を否定された。
「君はスポーツかね」
と、言われたのだった。
スポーツだ!だったらなんだよ。と、とちくるってやけっぱちになって、就職に失敗して、家がやっている神社の手伝いをして小遣いをもらっていたら、あっという間に30になった。
ある日回覧板を持った事務員が訪ねてきて、お宅に弓の経験がある人が居ませんでしたか?と、きく。高校に新しくできる弓道部のコーチをしてくれる人を探しています。交通費位しか出せませんが。
そうして私は子どもに弓を教えるようになった。その子は、とんでもなく下手だった。下手、と言うのは当たらないと言うことだ。
しかし誰よりも熱心に練習した。私はなんとかしなくては、と考えた。
その子が休日も部活をしたいと言ったら、武道館に行ってひたすら的に手を伸ばし続けた。この子ほど熱心に弓を引いた子どもは居なかったのだ。
なのに、私は3年の最後の仕合で、的中率の高い他の子どもたちをレギュラーに選んだ。型通りに練習して、そこそこ当たる奴等だった。
そこそこ。そこそこ当たる奴らは仕合でいっぽんも当てることが出来なかったのだ!
私は、こんなことなら、こうなるのだったらあの子に的を狙わせてやりたかった。と、自己嫌悪でいっぱいになった。
行き当たった屋台で、アンチャンに酒をもらいながらびたびた泣いてしまった。
結局私は当てるための弓にこだわっただけなのだ。過程を評価することをしなかったのだ。
私は、朝までそこで水だらけで泣いていた。アンチャンは途中、コンビニまで行って唐揚げを買って食べていた。