「私が殺すんじゃない。あんたが死ぬのよ」
 私は絞め上げられて息が上手く吸えなくなってひいひいとよだれを床に落としながら、どうにかマシーンに言った。
「死になさい、マシーン」
 マシーンは床に尻もちをつくように座って同じくひいひい言っていた。私は諭すべく話したのだ。
「死のうと思うだけで人は死ねる。あんた佐藤君をそんな目に遭わせたのよ。分かりなさい!」
「だからってなんで俺がこんな目に遭うんだ」
「私があんたを赦さないからよ」
「俺が何をしたっていうんだよ。誰だってやることだろ」
 マシーンはだんだんと力を失っていきながらそう口ごたえる。
「なんで俺が死なないといけないんだよ」
 こんな家の中で、と、マシーンは座ったまま、右足で激しく床を踏み荒らした。
「死になさい、マシーン。自覚しなさい。マシーン。あんたはもう普通に生きることなんて出来ないのよ」
 私はマシーンが諦めるまで何度でも挑みかかった。やがて十三歳を迎えた男の子の暴力に、腕と道具の力で立ち向かった。
 マシーンは私の手首を三度捻挫させた。投げ飛ばされた拍子に目の下を椅子の手すりにぶつけて、その時の痣はまだ残っている。それでも私は負けなかった。自分が虐げられるのはいい。大切なのは私がマシーンを虐げることなのだから。
 マシーンは困惑して、それから憤慨して、やがて徐々に私を嫌悪するようになっていった。嫌悪、そして、蔑視。訳のわからない怪物を見るような目で私を見る。マシーンの眼色は、最初ころの恐怖のそれから徐々に嫌悪へと変わっていく。私の言うことが理解できない。そう、息子は私のことが絶対に理解できないのだ。なぜなら、この子は加害者だから。私が裁くべき犯罪者だから。
 やがてマシーンは受け入れた。彼の中で、すべてはどうでもいいことになった。ある殴り合い終結の瞬間から、私はマシーンが、外の世界のことに無関心になったのを感じ取った。どうでも良くなっていったのだった。こんな面倒なことをしてまで、学校に行きたいかという疑問が湧きだしたのだろう。
 私に抵抗しなければ。下手に反抗しなければ、とりあえず安全に暮らせるじゃないか。マシーンはそういう風に判断をくだした。
 十四歳になるころにはもう私に殴り掛かってこなくなった。そして、マシーンは観念の死に向かって階段を一つ上った。

 ぎい、ばたん
 という気配がして、マシーンが階段を下りてくる。階下に到達して、
「テレビ見るぞ」
 と焼きそばのお皿を持ったまま私を見ていった。
「美味しかった?」
「くだらねえ」
 マシーンは食器を流しに片づけると台所テーブルからリモコンを取って電源を入れるとチャンネルを操作した。
「何見るの?」
 私は絶望から自分を救い上げる気持ちで、PCの蓋を開けると、イヤホンのジャックを差し込んで画面が立ち上がるのを待つ。
「仕事、邪魔になるか?」
 とマシーンが訊いてきた。別に、と私は答える。
「イヤホンで聞いているから別に気にならないわ。何見るの?」
「放送大学。しばらく見てなかったからな」
 夜の八時だった。マシーンがしばらくチャンネルを探していると目的の講座が見つかったようで、
「ビール飲んでいい?」
 と発泡酒のことを言うのだ。
「いいよ」
 と答えると、自分で物入れの中から缶の発泡酒を出して、そのままテレビの前のフラットソファに座った。物入れの中は暗いせいか年中ひっそりと寒く、冬が近づいてくる今くらいなら冷蔵庫に入れなくても充分に冷えていた。
「飲みながら見て集中できるの」
 私は電子メールで送られてきた音声データを再生しながら、昨日まで作っていた原稿のページの続きを追いかける。
「こんな内容ならそんなにハードじゃねえよ」
 バカにすんな、と言う。
「今日のテーマは何なの」
「地方都市の国際交流について」
 そういう講義をやっているらしい。発泡酒を飲みながら真剣に画面を眺めている。地方の小さな市や村が、ヨーロッパやポリネシアの国々と姉妹都市提携を結んで、そのことを地場産業にいかに活用して行っているのか。というような内容の講義をしているらしい。
 社会学か、文化人類学のような講座の時間だと思う、マシーンは家で過ごすようになってからこうしたテレビ講義を聞きたがるようになった。
 私はマシーンに好きな本と欲しがるだけのテキストは与えている。高校の数学は自力でマスターした。マシーンは頭のいい子だから。
 一年生の時から、マシーンは私が催促しなくても勉強をした。拍子抜けするような子供だった。小学校に入ったときのことだ。
 子どもは勉強を嫌いますよね。と、学校行事の準備があると、一緒に作業している保護者たちは愚痴をいう。子どもに宿題をさせるのが、テストの勉強をさせるのが、塾に行かせることが難しいんです、面倒でたまらない。そう、愚痴っていた。だってちっとも言うことを聞かないんですから、と。
 どこの家にも自分から進んで宿題をする子供は居ないから、マシーンが小学校に入ったら、きっと同じになるだろう。年上の子供を持った親たちの話を聞いて、私はそう思い病んでいたのだった。
 でも、マシーンは積極的に勉強をした。私の悩み事は、それだけは杞憂だったということになる。一年生の時に、八月一か月間の、夏の星空の定点観測を行って市の自由研究コンクールで金賞をもらった。
 勉強家に生まれついてしまったのだ。だからこそ、私は事件が起きた当時のことを思い出して、悔しくなる。この子は頭がよかった。そして卑劣だったのだ。
 私は、マシーンが持って生まれた聡明さ、いや、狡猾をいかんなく発揮してあの問題の中、自分の立場を隠そうとしていたことが、今になっても苦々しくてならない。
 知っているからこそ、私の決意は固まった。お前を絶対に赦さない。いじめは絶対に赦されてはいけないのだ。だから、お母さんはお前を赦さない。
 いつかは現実になるだろう、そう予感して生きてきた。でもそれは考え得る限りもっとも最低な形で私の目の前に展開した。狡猾、卑劣な小学生。誤算だった、聡明に育ってしまうなんて、それを悪い意味で発揮できる力を持っていたなんて。
 マシーンは頭が良かった。流れを見てあえて人の後ろに隠れるということを身に着けていた。人と人の凸凹な関係を読む力を身に着けていた。
 マシーンはいじめグループの中で中心には立たなかった。漫画でたとえるとサブキャラに徹していた、と私は担任の話から察した。
 マシーンは、サブが本当はサブではないことをよく分かっていた。あくまで主人公の影ににかくれていること。これは、もしいじめが露見した場合に、自分が表だって糾弾されない方法だから。サブキャラは、いじめの現場で最も重要な存在だ。主人公よりも人気のあるサブキャラはよくいる。
 センス。マシーンは人との距離をうまくとるセンスに長けていたのだ。いろんな本を読んで自分で身に着けた感覚、非常に敏感としか言いようのないセンス。
 攻撃を加えているグループの一員でいながら、マシーン本人はその行為には手を貸さなかった。ただ、グループの一員だったというだけだったのだ。