「あ、弦音。」
無意識の向こう側から現実が空を割いて

きぁああああん

と鳴った。ぱん、と乾いた音が響く。ここの道場では的張りに良い紙を使っているんだな、と思った。
さすが大学。

入部するつもりはさらさら無い。無いんだけど、私は自覚しないままに探して歩いていたことを、そのぼんやりを突き破った弦の叫びに知らされた。
知って、悲しくなった。
私のぼんやりした心はまだあの人との思い出を手放さない。
ほんの僅かな形見を探して私はやっぱりのこのこさ迷ってしまう。

私は先生の弓を思った。
私は先生の立ちを後ろから見ているのが好きだった。真っ直ぐな肩の線。弦を受けて揺らぎもしない両腕。常と異なり冷たさを感じるほど研ぎ澄まされた視線。

「腕の力で引いちゃ駄目だよ。
弦の重さを体に乗せるんだ。」
と先生は言われた。

私は、先生の視線の先にあるものに成りたいと思った。
そんなことをしたら私は消えて無くなってしまうと思っていた。
そして出来ることなら消えて無くなってしまいたいと思っていた、私。

私は先の3月大学に進学して田舎を離れた。
私は高校を卒業しても先生が指導者として勤める武道館に通い続けていた。

そして私は進学した学校に弓道場がないか探して歩いていたのだった。
猛烈に哀しかった。
さ迷ってもさ迷っても私の心に止まる場はなかった。
何処にも止まれないのに私は歩くことを止められなかった。歩いている間は私は先生の記憶と一緒に居られた。あの人を思い、歩く私。

「彼女は居ないよ。」
先生は大学を出たばかりだと言った。在学中から指導者のバイトをしていた。

私が最後に尋ねた時、先生はそう言ったのだ。

「妻なら居るけどね。」