緊急事態宣下での公開となってしまいましたが、そんな中でもホッとさせる力を持った貴重な作品、「陶王子 2万年の旅」の柴田昌平監督にお話を伺いました。陶磁器の器の精霊・陶王子を語り部に、土器から陶磁器までの変遷とその先を描いた本作は、NHKで放送されたテレビ番組に、新しい映像を追加したものです。「森聞き」「千年の一滴 だし しょうゆ」など長編ドキュメンタリー映画で高い評価がある柴田監督は、映画はみんなで作ると言います。今回は、中国の若手アーティスト、ゴン・シュエさんに、人形製作を監督自ら、依頼されました。柴田監督は、映画はいろんな年齢いろんな国の人が集まった方がいいアイデアが出て強い、と思っておられました。これは仕事論にも通じますね。

 

本作は、器の精の「ボク」が人類に定住生活をもたらした、と語りながら、メソポタミア文明の時代へ飛んだり、金属器の到来で無用になった「ボク」と中国の陶工たちの苦戦を描いたり、青を出す顔料の製法が生み出されたことから、東洋と西洋の交易で「ボク」がどう変化したかなどを描いたドキュメンタリー映画。歴史的な考察と客観的な視点に“カワイイ”を一滴、加えています。

 

12月25日 柴田昌平監督 シアターセブン

 

(感染症予防対策をした上で取材しました。)

 

ーー本作は国際色豊かなスタッフですね。

柴田監督は、2001年に中国に留学されていますが、中国語はかなり話せるのですか?

 

【柴田昌平監督】 学生時代に第2外国語でやっていたレベルで行き、留学した時に幼稚園卒業くらいのレベルでしたが、仕事は中国語でやっています。契約書も自分で作ります。電話で話すのは難しいけれど、身振り手振りを交えれば、撮影の仕事ぐらいだったら出来ますが、それ以上難しいことは出来ません。

 

 

ーー今回の作品を編集する上で、苦労されたところはありますか?

 

【柴田】 撮影そのものは2019年の12月に終わっていたので、物理的な苦労があったわけじゃないんですが、今、こういう時期に編集していたので、「自分が何でこの時期にこういうこと、やってんのかな・・」ってことを、しみじみ考えながら、仕事をしていました。作品にあまりネガティブな所は入れてないですが、ある意味、人間の壮大な移動と挑戦の影には、いろんな個人レベルでの苦難がありますよね。特に中国なんて、陶工達が自殺したとか、幽閉された人も居るし、そんな話がたくさんある。人類の“もっと良くしたい”という欲望の影には、必ずもう一つの側面があります。

 

 

人が移動する時って、必ずプラスとマイナスってあると思うんですよね。コロナにしても、急激なグローバル化っていうか、環境破壊をしながらこういう病気が発生し、本作の器の話ではシルクロードも出てきますが、人が動く一方では、疫病も生まれて来ました。映画ではそういうことは言ってないけど、人が動く時って、探求すればするほど、そのプラスとマイナスがいつもあり、人類はどっかで、その帳尻を合わせて来たんだと思うんですよ。

 

 

ーー確かに、現在のコロナのことまで考えさせるストーリーです。それに加えて、この作品もともと、かなり学術的な内容ですよね。でも堅さを感じさせない。「勉強」してる感じがしませんでした。陶王子のキャラクターが加わって、ドラマの構成になっているからです。山あり谷ありでユーモラスなのは、この人形の語りが入ってくるからですね。人形アニメーションの部分は、映画版でかなり増やされたんですか?

 

【柴田】 映画版の中国の部分は、殆ど新しく撮影しています。景徳鎮の窯のシーンとかね。アニメーションもけっこう、メソポタミアの部分は全部新しく作り、ヨーロッパでお花の中に居る陶王子だとか、全部新しく作り、あと、縄文の複雑な部分も。森の中で撮影したりとかは、映画版でやっています。コマ撮りってめんどくさいので、それだけ映画化の時に考える時間が出来ました。

 

 

ーー柴田監督の「千年の一滴 だし しょうゆ」(2015)を拝見しましたが、あれは日仏合作でしたね。フランスのスタッフと仕事をされる現場で、どんなことを感じられましたか?

 

【柴田】 僕がフランス人から一番学んだのは、「ドキュメンタリーとルポルタージュは違う」っていうことです。彼らからすると、ルポルタージュっていうのは、ものごとを客観的に報道するとか、いわゆる、ものごとをジャーナリスティックなことも含めて、外側から見て、きちっと撮っていくというのが、ルポルタージュ。でも、ドキュメンタリーっていうのは、作り手自身がインサイドに入って、本当にインサイドの眼で物を見ていく・・っていうのが、ドキュメンタリーなんだと。だからこそドキュメンタリーは普遍性を持つし、時間が経っても腐っていかない。

 

 

インサイドに入る、というのはいろいろなやり方がありますし、自分達はその人と一体にはなれないにしても、彼らの、インサイドの声をちゃんと聞き、その声を受け止めて、届ける方法を考えていく、ということです。作家性も映像工夫も必要で、自分がどの立ち位置に立って、どう責任を取り、それに対してどんな映像にして、単なる客観性を乗り越えていくか、まで考えないといけないんです。

劇中に、紀元前6世紀の壺に人類最初の芸術家のサインが出てきますが、ソフィロスさんがサインしてるんだけど、それも、「ソフィロス作」とは、書いていません。壺が、“僕はソフィロスによって作られました”・・って書いてあるんです。ドキュメンタリーの語り口の表現は、それこそ無限にあると思いますよ。

 

 

ーー柴田監督のブログを拝見すると、人形を作ったゴン・シュエさんとストーリーのことを話し合った時に、人形のシーンについてゴン・シュエさんも人形の出てくるシーンに関してアイデアを出してくれた、と書いてありましたが、ゴン・シュエさんも、部分的にシナリオに関わっておられるのですか?

 

【柴田】 たくさん関わっています。大きな所はどんどん完成していったけれど、実際に人形をどう動かすか、という物理的な制約もあるので、ゴン・シュエさんとストーリーを5日くらいかけてやったんですよね。たとえば、白い器の精が、“何回も自分が焼いたけど、脚を焼いても白くならない。ついに自分を塗りたくって窯に入って行く”っていうのは、僕の提案したアイデアに対して、ゴン・シュエさんがいろんな絵コンテを描いて送ってきたんです。打ち合わせの前に日本でチャットでやり始めた時でした。“たとえばこんな話”って言ったら、ゴン・シュエさんが即座に送ってきた。

 

 

逆に、彼女が出して、時間がかかり過ぎるのでやめちゃったアイデアもあります。カメラマンのモウ君のアイデアを採用した表現もありますね。たとえば10年かけたら何でも出来ますよね。でも、1年でやるなら何が出来るかな?というところで、限られた予算内でコマ撮り以外の表現で出来ることを、カメラマンのモウ君も一緒にディスカッションして、物理的な制約を考慮して、モウ君が提案してくれた表現もあります。映画は、本当にいろいろな人が関わって、みんなで作業しているんです。僕はあんまり絵が描けないので、東京でゴン・シュエさんと打ち合わせをする

 

前に、今井さんという美術のスタッフと一緒に絵コンテを描きました。だから、彼女のアイデアもある。“陶王子が生まれてくるシーンをこんな風にしたい”とか。いろんなアイデアを持ち寄り、実現可能なことをやってみる。みんなで自分の立場から、言える意見を出すんです。どんな映画も、そんなプロセスだと思います。監督が全部、設計図を書くわけじゃなくて、カメラマンや美術のスタッフ、役者さんが入って来て、賭け算がどんどん大きくなっていきます。

 

 

――まさに賭け算ですね。この映画は観ているとストーリーが複雑で、よくこんなにうまくシナリオをまとめられたな、と思いました。

 

【柴田】 舞台がいろんな時代だったり、いろんな国に飛んだりしますからね(笑)。本当はもう1人、プロデューサーのリュックという人物が居て、最初、企画をリードしていましたが、お金を集めきれなかったので、プロデューサーでなくなっちゃったんです。どうも紙で書いて企画書をやっているうちは、この作品は“お勉強”と思われちゃうんですかね。なかなかフランスからお金を集めてくることが出来なくて・・。でも作品の企画段階で、彼は凄く大きな存在でしたよ。

 

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柴田監督を含めて、作業に当たったスタッフ全員の歴史観や人間性が見えてくるような映像作品で、柴田監督は「みんなの作業」だと言われます。「ドキュメンタリーの語り口の表現は、それこそ無限にあると思う」という言葉にもうなづきました。毎日使う器の話なので、とっつきやすいし、好奇心を刺激されます。

 

監督 柴田昌平

プロデューサー 大兼久由美 牧野望

撮影監督 毛継東

撮影 川口慎一郎

美術 今井加奈子

編集 高橋慶太

音楽 ダン・パリー

語り のん

人形製作 ゴン・シュエ

(2021/日本・中国/110分)

 

1月2日から全国順次公開中。関西は1月16日第七藝術劇場、29日からMOVIX京都、以後元町映画館で。