アメリカザリガニのしっぽ( 再 ) | ぶなまつの昆虫的人生エッセイ

ぶなまつの昆虫的人生エッセイ

昆虫の「生活史」をメインに、裏山にて「ソロ虫活」を楽しんでいるシニアです。
読書と哲学と自然が大好きです♡
イハレアカラ・ヒューレン博士を心の師としています。
平和(^^)/は私から始まる。
https://twitter.com/IKpkVRZG6nDrqVE ぶなまつで検索

 

     

 

 

 近年、大正時代に養殖用として海外から持ち込まれた「ウシガエル」やウシガエル用の餌として輸入された「アメリカザリガニ」が特定外来生物として、悪者扱いされている風潮がある。在来種の生息数に影響を与えるのは残念であるが、だからといって昔からなじみの深い特定外来生物の全てまで駆逐することが果たしてよいことなのだろうか。考えてみると、その外来生物を国内にもたらしたのは我々人間側である。グローバル化した社会において、海外の生物が国内に侵入するのは、「人間の利便性の結果である」ことに気がつかないのだろうか。

外来生物が増えることがよいとは言っていない。「外来生物に責任転嫁するのはやめよう。そして、環境や生物の保全とはどういうことなのか改めて考えていこう」と言っているのである。

 

 

    

 

 

一般に「外来生物」といっても、植物の世界を考えたら多種多様である。外来種の植物は、身近なところでも確認できる。例えば、日本人の主食でもあるコメだって、もとをただせば南方から渡ってきたイネという外来種だ。つまり、人間に都合がよい外来種は悪者扱いされないのだ。

(下の画像のセイダカアワダチソウも外来植物である)

 

そんなことを考えながら、旧ブログを眺めていたら懐かしい記事があったので再掲載したい。(※記事は20代前半、今から約40年前に書いたエッセイが原本である)

 

 

 

 

 

 アメリカザリガニのしっぽ( 再 )

 

 

 もみじ20℃以下の冷たくきれいな水に生息するニホンザリガニの記事が某新聞に掲載されていました。記事の内容には触れませんが、とっても粋な内容でした。実はこの私、ザリガニには懐かしい思い出があるのです。

ザリガニには、外来種のアメリカザリガニとウチダザリガニ、日本固有種のニホンザリガニの2種類が存在します。宮城県には残念ながらアメリカザリガニ以外生息していません。

 

 

 私がまだ小学校低学年の頃、生家の周りにはたくさんの自然がありました。学校から帰るとすぐに大きな網と長靴を履いて、近くの小川まで出かけるのが私の日課でした。田んぼの下を流れる小川には、たくさんの生き物が生息していました。

フナやドジョウ・アメリカザリガニの幼体・スジエビ・大きなドブ貝・タガメ・タイコウチ・ミズカマキリ・コオイムシ・ヤゴ・ゲンゴロウ・ガムシ・フウセンムシ・ミズスマシなどが生息している小さくても、穏やかな小川でした。狭い川の中に入って網を仕掛け、足や棒でジャバジャバ追い込むのです。私は、何が捕れるのかわからないこのガサガサ捕りが大好きでした。

ガマガエルやヒルがたくさん捕れた時はがっかりしましたが、大きくて真っ赤なアメリカザリガニの成体が捕れた時には大喜びしました。

というのは場所的にここは田んぼの支流のため、アメリカザリガニの幼体はたくさん捕れますが、成体はあまり捕れないのです。

アメリカザリガニの成体の大きな赤いハサミは、幼い私にとって宝物に見えました。ザリガニは何度も何度も脱皮を繰り返しながら固くなっていき、成長します。

しっぽを丸めた状態の時、ザリガニは後ろに歩行し、まっすぐの状態の時は前に歩行します。♂のハサミは、♀よりも大きくて、がっちりしています。怪獣映画に出てきたゴジラと闘った海の大怪獣「エビラ」を思い出します。怒りんぼ状態のザリガニは挟んだらなかなか離そうとしません。挟まれた時、一度水の中に入れるとすぐに離してくれました。

(クワガタも似ています。怒りんぼ状態で指を挟まれたときは、木や地面にそっとクワガタを戻すと離してくれますよね。笑)

 

 

    

 

 

ある時、私は

「アメリカザリガニもエビの一種なんだがら、食えるんでねぇがや?」

と幼心に思い続けていました。

たまたま近所に、同じ考えを持った幼なじみのAくんがいたので二人でザリガニの幼体を10匹ほど捕った後、大きめのもの5~6匹を選びました。

「寄生虫が多いがら、うんと焼がねどだめだ。」

『たぶん、しっぽしか食わんねど。』

そんなことを楽しそうに話しながらAくん家の台所に入りました。

「さあ、焼ぐど・・」

金網の上で焼かれた5~6匹のアメリカザリガニはたちまち真っ赤に変色し、湯気がジュウジュウ出ていました。強火でじっくり5分ほど焼いたでしょうか。

『もういいんでねぇがや?』

とAくんが合図をし、火を止めました。

こんがり焼けたアメリカザリガニの上半身を取って捨てた後、私たちは恐る恐るしっぽの殻をむいて、ゆっくりと口の中に入れてみたのです。

「・・・うまぁい。こいづはうめぇ!!」

『うめなやぁ・・・!!!』

思った以上の美味しさだったので、二人して小躍りしながら大喜びしました。

さて、お互いもう1匹食べようとしてガスコンロを見ると、あるはずのアメリカザリガニがまったく見当たりません。しっぽだけで逃げるはずもないし、どこへ消えたのでしょうか?

 

その時

“あんちゃん!”

とAくんを呼ぶかわいい声に気がついたのです。

その声は3歳になるAくんの妹Bちゃんでした。

なんと、私たちが大喜びをしている間にBちゃんが焼けたアメリカザリガニを全部食べてしまったのです。

『B、おめが食ったんだべ?』

「うめがったが、Bちゃん?」

私たちの質問にBちゃんは、瞳を大きく開きながら恥ずかしそうにうなずいていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

    

 

 

 早いもので、あれからもう20年以上が経ちます。その間懐かしい故郷の自然も様変わりしました。森の代わりに団地が、田んぼや小川の代わりにバイパスや高速道路ができました。

懐かしい田んぼの下の小さな小川はすでにどぶ川と化し、僅かに面影を残しているだけです。さらに大手のスーパーも建設されて、もうあの懐かしい故郷の風景は無くなったのかもしれません。

しかし、子どもの頃に思いっきり跳ね回って遊んだ小川や森、神社の境内など今でもあの時の感触が残っているのです。

日々の仕事を終えて、そっと眼を閉じると20年前の故郷に還れる気がします。

そこでは、懐かしい自然・(故人となった)心優しき人たち・懐かしい思い出が、永遠の光り輝く宝物のようにいつまでもいつまでも変わりなく私を迎えてくれるのです。

何故なら、あの美しい故郷の姿はいつも私自身の心の中にあるのだから・・・。

 

  うさぎ追いしかの山  

      小鮒つりしかの川 

    ゆめはいまも めぐりて 

  わすれがたきふるさと  

 

(高野辰之作詞 「故郷」より)

 

 

  

 

 

以上の体験は今から50年以上前の、幼いころの思い出のひとつです。

水生昆虫類は現在、どこにおいても壊滅的な状態のようです。環境を知る上でも、来年度はガサガサもしてみたいと思います。ちなみに、実家近くの水銀灯の周辺には田んぼも多く、自分が中学生のころまではカブトムシ等とともに、タガメやガムシもたくさん集まりました。

タガメは泥つきのまま乾燥し、鋭い目だけが大きく見えました。一度指を刺されたこともありましたが、川の中で採取した小さいフウセンムシ(マツモムシ)に刺された痛みのほうが数倍腫れて辛かった思い出があります。

ガムシは臭くて、カブトムシの♀に間違いやすく、スルーしていました。面白いことに臭くないゲンゴロウは水銀灯で見たことがありません。

その水銀灯も今は撤去されてしまいました。

10年以上前には、地元仙台南部の小川で巣孔に手を入れて、大きなアメリカザリガニを一緒に採取した息子でさえも、自分が昔、当たり前に見れたタガメなどを一度も見たことがありません。逆に、自分は水生昆虫の壊滅的状態に対し現実感があまり伴っていません。

「本当に、昔どこの田んぼの近くにもたくさんいたタガメがいなくなっているのかな?冗談ではないのかな」という思いもあります。

来年はぜひ、地元において水生昆虫の観察もしてみたいと思います。どんな結果が出るのか楽しみです。

 

星空 

夕べ懐かしい小学校時代の友だちの夢を見た。連絡もとれず随分会っていないけれど、元気だろうか?変わっていないだろうか?

定年退職して今よりも時間にゆとりが出たら会いに行こうかな。(^^)/     令和4年11月14日(月)夜 記す