有名であるということは一時(いっとき)のこと。 | ブルガリアと音楽とワイン

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MICHIKO DATE ILIEVA
目醒め、気づき、変化の日々を綴っています。

音楽家であるならば誰もが知っているであろう、

 

ある有名なオペラ歌手が先日亡くなりました。

 

 

多くの人たちがFacebookなどで、

 

彼女のことを追悼しているなか、

 

私はというと、このニュースを知ったとき、

 

彼女が行った数年前のマスタークラスのことを思い出しました。うーん

 

 

 

彼女が、今も多くの人々の記憶に残る、

 

偉大なオペラ歌手であることに異論はありません。

 

私も彼女の演奏が大好きでよく聴きました。音譜

 

 

 

けれども、マスタークラスで観た彼女は、

 

MEAN(意地悪そう)に見えました。うーん

 

 

彼女を『MEAN(意地悪)な人』、

 

と言い表すのは正しくないと思いますが、

 

少なくとも、MEANな一面を持っている人だな、

 

という印象でした。うーん

 

 

 

 

夫がクラリネットを教わっていたこともある、

 

有名なクラリネット奏者も昨年亡くなりました。

 

 

 

夫は子供の頃から、

 

彼のサウンドやアーティキュレーションまでを全て真似るほど、

 

彼の演奏に憧れていたそうです。

 

 

 

そんな夫ですら、その有名なクラリネット奏者のことを、

 

『彼は晩年、MEANになっていった。

 

少なくとも僕に対してはそうだった。』

 

と言っていました。ガーン

 

 

 

 

夫に、

 

『どうして有名なスターである彼らが、最期はMEANになってしまうの?』

 

と尋ねると、

 

 

『あの世代の有名な人たちには良くあることだよ。』と。えー?

 

 

 

さらにここからは夫が私に話してくれたことです。

 

 

『彼女の絶頂期であった時代は、

 

世界中のオペラハウスでオペラ公演の度に、

 

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など、

 

様々なメディアからインタビューを受け、

 

 

彼女が日本やブルガリアにやってくるとなれば、

 

きっと、みんなが彼女を女神のように扱っただろう。

 

 

彼女に限らず、その時期に活躍した多くのオペラ歌手たちが皆そうだったはず。

 

 

そういう環境に身を置いていると、

 

自分たちのことを、

 

NO ONE ELSE IS ENTITLED TO BE GOOD

(他の誰も私より良い歌手である資格や権利なんてないわ。)

 

つまり、

 

私は特別で別格。

これは唯一私だけに与えられた権利よ。

 

 

という勘違いや、自惚れを抱いてしまうのも当然なことだよ。

 

 

 

EVERYONE ELSE IS TITLED.

(もちろん本来、他の人にも、良い歌手であるための資格や権利は与えられているんだけどね。)

 

 

 

それは環境が彼女をそうさせたんだ。

 

人は注目を浴びすぎると、そう言う言動や態度になってしまうものだ。

 

 

HUMAN ARE PRONE TO BE THIS WAY.

(人は皆そういう風になってしまうものなんだよ。)

 

 

WE HAVE TO TRY TO CORRECT OURSELVES CONSTANTLY, DAY AFTER DAY.

(だからこそ僕たちは、自分自身を、常に日々、見つめ直し、軌道修正しなくちゃいけないんだよ。)

 

 

THERE ARE NOT INDISPENSABLE PEOPLE.

(そして実際に、彼女の変わりはいるということ。

彼女じゃなくちゃ絶対にダメだ、ということではないんだ。)

 

 

 

彼女は、歳を重ねるごとに、そのことに葛藤を抱いていたはずだ。

 

 

彼女は素晴らしい歌手だけれど、

 

でも所詮、JUST A SINGER(ただ歌手であるだけ。)

 

 

 

PEOPLE FORGET GENERATIONS ARE TURNING AROUND

(人々は、『時代と共に世代も移り変わっていく』、ということを忘れてしまいがちだ。)

 

 

NAME COMES AND GOES.

(有名であることも同じように、現れては消え去っていくものなんだ。)

 

 

 

歳を重ねていくごとにMEANな一面が現れる人たちは、

 

このことに気づくことができなかった、

 

もしくは受け入れることができなかったのかもしれません。うーん

 

 

 

 

 

確かに、現在多くの聴衆に愛されている、

 

とても有名な音楽家ですら、

 

100年もすれば、きっと彼らのことを知っている人はいなくなるはずなのです。

 

 

 

実際に現在、カルーソーやテトラツィーニの名前を知っているのは、

 

ごく一部の音楽家や音楽愛好家のみで、

 

それ以外の多くの人々からは忘れ去られています。

 

 

 

有名である、ということは、

 

所詮一過性の流行のようなものに過ぎない、ということです。

 

 

 

そのことに気づくことで、

 

ただ有名である、もしくは肩書きがあるというだけで、

 

彼らを神のように崇めたり、

 

その人が発する言葉の全てを、

 

金言や格言のように無条件で受け入れたり、

 

有り難がるという状況から、

 

少し遠ざかることができるかもしれません。

 

 

 

 

そして、有名な人と知り合いだから、

 

有名な先生の生徒だから、

 

などというだけで、

 

自分までもが自惚れてしまう人は、本当に愚かです。おーっ!

 

 

 

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先日訪れたサンダンスキで、とあるワイナリーに立ち寄りました。音譜

 

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この広大な土地は、全て葡萄畑です。ぶどう