愛しい我が子への思い
シェイクスピアは『ヘンリー6世』(白水社ほか)のなかで、
子牛の悲惨な運命に言及している。
あなたは、彼らにも誰にも危害を加えたことなどなかった。
それなのに、食肉処理業者がやってきて、
哀れな子牛を縛りあげ、少しでも道をそれれば打ちすえ、
血なまぐさい処理場へ送りこむように、
彼らは、非情にもここから彼をひきたてていった。
そして私は、鳴きながら走りまわり、
何の罪もない子どもが連れ去られた方向を見つめて、
愛する我が子の喪失を嘆くことしかできない母牛だ。
(第二部第三幕第一場)
雌牛が愛しい子どもを失って悲しみにくれるというシェイクスピアの描写は、
擬人化だろうか?
その光景を一度でも目にした者には、母牛が我が子の喪失を嘆いているのは明白だ。
酪農業者でさえ、母子が一緒にいた時間が長いほど、
別離のときの母牛の悲しみが深くなると知っている。
それもあって、業者は出産とほぼ同時に母子をひき話す。
そばにいるほど愛情が深まるからだ。
牛の母子の絆の深さを思ったら、とうてい子牛肉は口にできない。
人びとが、なぜそれほどまでに子牛の肉を食べたがるのか理解に苦しむ。
ジェフリー・M・マッソン 『豚は月夜に歌う』 より抜粋