心身の健康と幸せな人生
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ださい。よろしくお願いします。
今日は日曜日ですが、雨でプロショップの自転車練習は休みです。その代わりに朝から近所の日帰り温泉に行って来ました。温泉に関しては伊豆は恵まれています。どこに行っても温泉があります。私の山の自宅のお風呂も温泉です。自宅の温泉は料金からすると、水道料金より温泉料金の方が安いのです。
今日の朝はまず露天風呂に入って、それからサウナに1回10分ほど4回出たり入ったりして、もう一度露天風呂に入って、それから内風呂に入って上がりました。自宅の風呂以外しばらく大きな温泉に入っていなかったので、今日のお風呂は気持ち良かったです。
久しぶりに、毎日がんがん練習で使っている筋肉を休めました。また今夜も自宅の温泉風呂に入るつもりです。諸行無常なのでいつまでこんなことができるか分かりませんが、できる間は温泉に浸かります。今日はそれから近くの町にちょっと仕事に行ってから、山の自宅に帰りました。
さて私は仕事柄色々な人を見てきましたが、人生で何が幸せであるのかこういう仕事をしているとよく分かります。お金や資産や社会的地位があっても不幸せな人は結構いっぱい居ます。立派な家に住んでいて不幸なのですね。
世の中の多くの人は、お金や資産や社会的地位があるのが幸せの条件だと思っています。そしてそれらを追い求める一生を送ります。自分の子供にもそれらを追わせます。そして仮にそれら幸せの条件が手に入っても、思っていたのとは違って幸せではないことに気づくのです。
もっと悲惨なのは、それら幸せの条件を一生をかけて追い求めて、その挙句にそれらが手に入らない人達です。「自分の一生は何一つ思う通りに行かずに不幸だった」と思うのですね。可哀そうな話です。
前にブログにも書きましたが、幸せとは心の状態なのです。だから自分が持っている物質的な物の中に幸せは無いのですね。お金が欲しくて手に入ったらもっと欲しいとなって、いつまでたっても心は満たされることはありません。資産や社会的地位もそうです。
だからその人の心の状態は不幸という事になるのです。心が満たされることが無いのに「私は幸せです」と言う人は世の中には居ません。満たされない心は不幸な心です。
また周りと自分を見比べて「世の中の平均と比べてもそんなにそん色はないので、まあこんなもんでいいかな」と人生に手を打つ人も居ます。でも本当はやっぱりもっとお金が欲しいので、本質的にはこういう人も真の幸せなど感じることはありません。
私は何が幸せと言っても、健康な心と体を持っていることが一番幸せだと思います。お金など普段つつがなく暮らせるだけあれば十分です。私は自分で料理をはじめ家事一般をするし、16時間何も食べない食生活なので一日2食だし、基本的に食材は玄米と野菜と魚とナッツと鶏の胸肉と卵だし、食べていくのにそれほどお金はかかりません。
一カ月の走行距離は車より自転車の方が断然多いので、ガソリン代もそれほどかかりません。自転車はなんぼ走ってもタダですからね。服も基本はジーパンにTシャツとジャケットです。高価なスーツなど要りません。
だから余った分は子ども食堂に寄付しています。今はお米が高いので、お米をガンガン寄付しています。あとは国境なき医師団にも寄付します。でも私はその子ども食堂に一度も行ったことがありません。民生委員をしている家内に米を持って行ってもらうだけです。クリスマスにはお米だけではなくて、お菓子やキャンディーをいっぱい子供たちに寄付しました。
私は心も体も今のところはすこぶる健康なので、毎日とっても幸せですね。健康だから働けるし、働くとお金が入って来るし、余った分は寄付をすれば子供たちやボランティアの人がが喜ぶし、実際に喜んでいるところは見たこと無いけど、こんな幸せなことはありません。幸せは「心の状態」であることの良い例だと思います。
お金や社会的地位を持っていて不幸せな人はいっぱい居ますが、健康な心と健康な体を持っていて「私は不幸せです」などという人は世界中どこにも居ません。健康診断の結果に異常が無くても、心を病んでいればやっぱりその人は幸せではありません。
だから人が一生をかけて「幸せ」として追い求めなければならないのは、健康な心と健康な体なのですね。健康な心は自分が幸せを感じることをすれば得られます。私はロードバイクに乗ったり、仕事で困っている人のお役に立ったり、子ども食堂に寄付をしたりすると幸せを感じます。
そういうことを毎日やっているので、私の心はすこぶる健康だと思います。世の中の多くの人は自分の欲が満たされることを「幸せ」だと思っていますが、それは大間違いですね。その時は心が満たされた気分になるかもしれないけれども、その後は「もっともっと」と自分の欲がどんどん膨らんでいきます。いつまでも満たされることはありません。
結局世の中では多くの場合社会的地位や経済的な豊かさで人を評価するので、人から評価されることに幸せを感じる人間は、そういうものを追い求めて一生満たされずに過ごします。そして真の幸せを得ることはありません。
また人からどう思われているかとか、どう見られているかと気になる人は、どのような経済レベルであっても真に幸せになることはありませんね。いつも人のことが気になって、仲間外れにならないように、心はびくびくして生きているのです、
私は人がどう思っているかとか、人からどう見られているかなど笑ってしまうほど全く気にならないので、人のことを気にせず自分の好きなことができて幸せです。
いい意味で、世間や人のことなど私にとってはどうでもいいのです。大体、人からどう見られているか全く気にならないから心が健康なのかもしれません。世間体や他人を気にする人が健康な心を持つのは、そもそも至難の業なのでしょうね。
私は67年生きて来てこういうことが分かって良かったです。若いころは本当にアホでしたね。それで上場企業の役員になって、アホみたいな顔をして喜んでいたのです。
結局自分の好きなことをして、小欲知足で我欲を抑えて人が喜んでくれることをすると、心が健康になり幸せになるのですね。身体の健康と心の健康では心の健康の方が優先されます。
歳をとってから、本当の幸せが分かる人生になって良かったと思います。こういう大切なことに気づくか気づかないかで、人生は良くもなり悪くもなるのですね。こういうことを私に気づかせてくれた天に感謝ですね。過去には色々ありましたが、おかげさまで今は毎日楽しいです。いつもありがとうございます。
合掌
仏光
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