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先週後半は曇りや晴れの日が続いたので、60km~70kmの自転車トレーニングができました。昨日は親戚の用事で一日東京に行っていました。最近では初めて一日自転車に乗らない休みの日になりました。

 

今日の朝は雨だったので室内でのローラートレーニングをしました。まあ梅雨の間はしょうがないですね。明日は雨が上がりそうなので朝からガンガントレーニングができそうです。先週LOOKのロードバイクのギアをもう少し軽いのに代えました。自転車をある意味登り専用にする改造です。

 

次の日曜日はプロショップの練習が御殿場方面への登りになるので、どれだけ登りが速くなるのか楽しみです。まあ速くはならないかもしれないけれども少し楽にはなるはずです。LOOKは買ってから一年と3か月になりますが、すでに1万キロちょっと走っているので一緒にチェーンも新しいのにしました。

 

「筋肉は裏切らない」というトレーニングの格言がありますが、ロードバイクも裏切りませんね。やればやっただけの効果を確認することができます。だから一生懸命トレーニングするのでしょうね。やればやっただけ良い結果が自分に返ってきます。

 

私はたとえ明日死んでも何の後悔もありませんが、このようにトレーニングをして健康を保っているのは、もちろん心身共に毎日元気に暮らすためです。でも「将来ぽっくり死ぬため」と言っても過言ではありません。

 

ぽっくり死ぬというのは大変難しくて、死ぬ1秒前は元気で1秒後は死んでいるのです。私は昔、上海のホテルのロビーでバタッと倒れて心肺停止になり、救急車の中で生き返った経験がありますが、もし生き返らなかったらそれが「ぽっくり死ぬ」になるのですね。

 

一度経験しているだけに「ああいうのがいいなぁ」と思うのです。今その時の事を思い出すと、「死んでいるのは楽だったけれどもちょっとつまらなかったな」という感じがします。生きていると苦労が絶えず嫌なこともありますが、「死んでいるよりかはつまらなくないかな」とも思います。

 

人から見れば私は特殊な力などがあって結構楽に生きているように見えるみたいですが、実際はそんなことは無くて生きて行く苦労は絶えないし、嫌なことは起こるし、辛い時など何もかも投げ出したくなります。

 

でも、そういう事もせずやっぱり生きているのですね。これは多くの人が同じだと思っています。私は人生の本質は「苦」であると自分の経験を通して思います。でも「苦しみ」を拒否して生きると、人生で起こる多くのことが余計自分を苦しめることになります。

 

「人はどうであれ自分だけは苦労したくない、楽したい」と頑張るのだけれども、そのようにしているともっと苦労がやって来るようになります。毎日の生活で起こる自分の思い通りにならない些細なことまで、自分の楽を妨げる原因になっていくので、結局いつもイライラしなければなりません。

 

私もそういう所があって、「苦労したくない、苦しみたくない」と思っていると余計苦しくなります。結局私が到達した心を平穏に保つ境涯というのは、「人生とは苦しいのが普通の状態なのだ」と苦しみを受け入れる事でした。これもごく最近気付いたことで、今迄こういうことは頭の知識だけで分かっているつもりになっていたのでしょうね。

 

世間では近所付き合い、友達付き合いなどで社会的な体裁を整えつつも、最終的に本音では「他人はともかく自分さえ良ければいいや。」という人間が本当に多いです。そういう心の境涯では絶対に幸せにはなれないし、そういう人間は動物的な自我というか、欲求を満たすことを「幸せ」と勘違いしているのですね。

 

だから「お金が欲しい。うまいものが食べたい。いい家に住みたい。上等の服を着たい・・・・・。」となっていくし、職場や地域で「他人はともかく自分さえ良ければいいや」と思っている同士の争いが絶えないのです。結局自分が幸せになりたいと思っている者同士お互いを傷つけ合うので、幸せにはなれないのですね。そしてお互い相手が悪いと思っています。

 

そういう世間の苦から精神的に抜け出すためには、そういう苦しみを拒絶するのではなくて、「人生とは苦しいものだ」と受け入れるのですね。それがどのようにして可能になるかというと、自分より自分の周りを大切に思うことです。

 

不思議なことに、もし「とんでもない!」と思っている相手でも「人としてまだ未熟なのだから可哀そうに…」と自分より大切に思えたら、自分が「この野郎!あの野郎!こうしてやろう。ああしてやろう。」と思っている時に味わっていた苦しみが消えて無くなっていきます。

 

相手はおとなしくなったあなたのことを「ざまあ見ろ」と思うかもしれませんが、そんなことは気にする必要はありません。それはあなたは苦しみから逃れることができて、相手はまた他の相手と争うので苦しみから一生逃れる事は無いからです。社会的にいくら体裁が整っていても苦しみ続けます。どちらが良いかというと苦しみから逃れている方が良いに決まっているのです。

 

結局苦しみから逃れる方法というのは「慈悲の心」、「相手を大切に思う心(愛)」を持つこと以外に無いのですね。仏教もキリスト教もイスラム教もヒンズー教も他の多くの宗教も同じことを説いています。信者と言われる後の人達はともかく、それらの宗教を最初に起こした人間は同じことに気付いていたのだと思いますよ。

 

人間にとって一番の幸せを感じられるのは、困っている人の心に寄り添い、自分がその人のためにした色々な行いによって、その人を助けられた時だと思います。やっと65歳になってこんなことに気付いている私もまだまだ未熟ですね。とにかく人生はやっぱり「苦」なのだから、苦しみを受け入れた方が断然楽になりますね。これは永遠の真理だと思いますよ。

 

合掌

 

仏光

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