見える次元と見えない次元で作られていく一生 | 仏光さんの心の相談室

見える次元と見えない次元で作られていく一生

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昨日から血液検査に向けてトレーニングを控えています。朝は散歩がてらに町中の平地をロードバイクで8kmほど走りました。今日もその程度に抑えています。本当はガンガン走りたいけれども、まあこれも身体を休ませるのには良いかなと思います。その代わりと言っては何ですが、いつもより長い時間寝ています。

 

私は毎日を自分のベストで生きることを心がけています。だから一日の内でボーっとしている時間はあまりありません。私にとってはテレビやスマホの画面を見ている時間もボーっとしている時間に入りますので、全体としてはあまり画面などを見ている時間は無いのですね。

 

テレビのニュースすら、ろくでもない情報を自分に入れないようにあまり見ません。必要なニュースはインターネットで動画ではなく記事で読みます。ましてやバラエティー番組などを見ることは絶対ありません。だから自分の周りで何が起こっているのかすぐに知ることはありませんが、大きな事件や事故、災害などは誰かがすぐに教えてくれます。今のところそれで十分ですね。

 

私がこのような一日を過ごすようになったのは、今自分がこの世という次元で生きて色々経験しているのは、全体から見ればほんの一瞬の事だと思うからです。この全体というのは、私達は今生きているこの世と呼んでいる次元に生まれる前にも、違う次元で存在していたと思うし、私達がこの世で死んでからも精神のみの生命体(霊と一般的には呼ばれている)となって、存在し続けることが分かったからです。

 

昨日も年配の女性で10年間、足が痛くて座っている状態からすぐに立ち上がることすらできなかった人が、私のお祓いの後、まったく痛みを感じずにさっと立ち上がることができるようになりました。私がお祓いで「霊」と一般的に呼ばれている存在を取り除いたからそのように目の前で足が良くなったのですね。これにかかった時間は3分くらいです。

 

本人はびっくりしていましたが、10年間も痛い人が3分で良くなるのは、やはり霊と呼ばれるものが厳然として存在しているからです。このようなことが別にその人だけではなくて、朝から晩まで何人もの人において私のオフィスで起こります。

 

この目の前で起こる事実を客観的に見れば、私達もこの世で肉体は死んでも精神のみの生命体として、この次元または違う次元で存在し続けることになるという結論に達します。まあこれが現実なのでしょうね。

 

今でも多くの人が「自分が死んだら全部終わる」と思っています。「あの世…」などと口では言っていますが、本心はそのようなものが存在する確たる証拠は無いし、現実問題として自分が死んだらそれで終わりということを無意識な前提として、この世での自分の人生というものを、少しでも良い思いをしようとして生きています。

 

正月になれば初詣に行って、見えない存在に対して「どうぞ自分と自分の家族が良くなりますように!」と一生懸命拝むくせに、現実問題としては見える次元の事ばかりを追い求めて一生を終わるのですね。

 

そして「人生は一回こっきり。ふにゃ~」と思い込みながら、いざ自分が死ぬとなると、表面的には理性によって平静を装ったとしても、内心は慌てふためいて心を右往左往させながら死んでいくのです。もちろんそのまま慌てふためいて死んでいく人も大勢居ます。

 

そりゃ死によって自分の存在が全くの無に帰すと思えば、死というのは人生で最もつらい苦しみになると思います。私は年間に目の前で延べ2000人から3000人の人がお祓いという憑依している霊を取り除く作業をすることによって、その場で今までの辛さや苦しみが取れるのを目の当たりにして、霊と呼ばれる存在と死んでも自分という存在が終わらないという客観的な事実を認識するに至ったのです。

 

このことによって私の中ではこの世での「死」が現実的に「苦」ではなくなったのですね。これは自分をよく振り返ってみれば分かることです。私という存在は肉体という見える次元と、心という見えない次元によって成り立っています。そうなのに多くの人はお金や社会的地位、財産や自分に対する周りの評価など、見える次元の事ばかりに心を費やしながら生きています。

 

自分自身が見える次元と見えない次元で成り立っているのを全く忘れたかの如く「現実は・・・・」などと言いながら見える次元の事ばかりを追いかけ回して一生を過ごしているのですね。

 

これを自分という存在を客観的に振り返った上で、この世と呼ばれている次元を見てみると今まで見える次元の事ばかりを追いかけ回している自分が如何に愚かであったかということが分かります。

 

まあ何をどう思おうがその人の勝手ですが、最低限私は目の前で私以外の第三者も含めて起こっていることを現実だと認識するようにしています。その中で現実として人生は見える次元と見えない次元が織り交ざって構成されているのがよく分かります。

 

私たちは「科学、科学」と叫びながら間違った認識で一生を過ごしていると結局は間違った生き方をするのだと思います。存在している次元はさて置き、過去からも続いて来て、これから未来へも続いて行く「私」という存在を客観的に見ると、この世と呼ばれている次元の一生などあっという間なのです。

 

80年、90年生きてきた老人に「一生はどうでしたか?」と聞くと、殆どの人が「あっという間でした」と答えます。これは正しい認識だと思います。私は未だかつて「いや~一生は長かった~!」と言っている老人を見たことがありません。

 

自分の存在が死んでからもずっと続くことを実際に実感できれば、この世の事にそこまでどん欲になることはありません。またそこまで執着することもありません。この世の苦しみがあるとしても期間限定の苦しみで死ねばなくなります。

 

問題はこの世と呼ばれる次元で、肉体という見える次元の自分の持ち物が死を迎えても、精神のみの生命体としてどの次元でどのように存在して行けるのかということです。要するに「死ねば終わり」ではないのですね。しかもこの世の自分の生き方によって、あの世と呼ばれている次の次元における自分の境遇が決まって来るのです。

 

そうなると死ぬまでうかうか生きていられないのですね。毎日が勝負で一生懸命生きなければならないのです。この世は長くてもせいぜい100年くらいで終わりますが、あの世はそうとは限りません。1000年になるのか10000年、もしかしたら何億年になるのかすら分かりません。

 

今のこの世、この次元での自分の生き方が、死んでからの次の次元での自分の境遇を決めるとなるとうかうか生きてはいられないのですね。私はできるだけ良い境遇で次の次元において存在していきたいと思うので、今自分ができることを一生懸命しているだけです。

 

まあそれが結果として、多くの人が「現実」と呼んでいるこの世の次元においても良い一生につながってくれています。まさにお釈迦様が言う「この世でもあの世でも・・・」ですね。本当にありがたい真理に気付けたなと思いますよ。ありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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