自分の心と向き合う | 仏光さんの心の相談室

自分の心と向き合う

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一昨日の日曜日は、また私一人で朝から熱海峠、十国峠、箱根峠の縦走をロードバイクでやって来ました。今回は天気は良かったのですが、風が少し強くて体力を消耗しました。実質走行時間も3時間半足らずで前回より10分ほど長くなりました。

 

でもとりあえず全行程51kmのヒルクライムコースを走ることができて満足です。今回気付いたのですが、このコースの最高地点は箱根峠ではなく、十国峠と箱根峠の間にあります。箱根峠の標高は849mですが、最後箱根峠までの道がそこそこ下っていたので、このコースの最高地点はおそらく950mくらいの標高があると思います。

 

まあ何れにしても、64歳で標高約1000mまで自転車で登れるのだから、健康に暮らせている毎日に感謝ですね。考えてみればこれほどありがたいことはありません。今週の金曜日にまた自主的な血液検査をお友達の病院でやります。今日の朝はいつものようにヒルクライムトレーニングをしてしまったので、昼休みから検査に向けてトレーニングはちょっと控えめにします。

 

前回検査当日までガンガントレーニングをしていてガンマGTPの数値が上がったので、今回トレーニングを控えるとどうなるのか見てみたいです。でもこの肝臓の数値自体、激しいトレーニングによる細胞の破壊によるものなので、別に肝臓に問題があるわけではなく、それほどの意味があるとは思っていません。

 

私がこの熱海峠から箱根峠までの道が好きなのは、熱海峠までの旧道が静かな森の中で、車もさほど通らず、周りの刺激から開放されて、自分の体と自分の心に向き合ることができるからです。もちろん急な上り坂なので、身体も心も余裕など無くなっていくのですが、その分自分と向き合うことができて新しい気付きを得ることができます。

 

多くの人は日々の刺激の中でその刺激に反応して生活していることを人生だと思っています。「仕事がこうなった」とか「誰が何を言っていたか」とか「テレビのワイドショーでこう言っていた」とか「近所の人からの情報では…」とか「この店のこの料理がおいしい」とか「こんな事件や事故があった」とか、そういう生活の刺激の中で生きているのを、自分だと思っているしそれが人生だと思っているのですね。

 

これは動物としては当たり前のことです。「ライオンが獲物を見れば追いかける」というのとその根源は変わりません。刺激に対して反応しているのです。しかし私たち人間は、良いも悪いも動物よりも「心」というものが発達しているのです。だから良い人生にするのも、悪い人生にするのも人間の場合、その心次第になるのですね。

 

「自分は自分の心の事をよく知っている」と多くの人は思っています。でもそれは大概の場合、周りからの色々な刺激に対して自分の感情がどのように反応するかということを知っているだけで、自分の心を見つめているわけではないのです。自分の感情をベースに「自分は怒りっぽくて短気だ」とか「自分は繊細だ」とか「自分は強い、自分は弱い」とか言っているのです。

 

しかし心というのは周りの刺激を一つ一つ取り除いて行って、刺激が全部またはほとんど無くなった状態になり、自分と自分の心だけそこにあるという状態を作ってから初めて自分の心というのものが見えてくるのですね。

 

それをやっているのが坐禅であり、瞑想なのですが、相当やらないとなかなか自分の心に向き合うまではいきませんね。最初は自分の頭に浮かんでくる雑念と向き合うのがいいところです。それでもちゃんと周りの刺激を消していくと、自分と自分の心だけになって、そこで新しい気付きがあるのですね。

 

だから「自分の心」とか、「自分は本来何なのだ」ということを知らないままに多くの人は一生を過ごすのです。もちろんそれでも一生はちゃんと過ごせますが、本来の幸せに気付くことなく一生が終わることにもなります。

 

これはその人次第ですが、私はどうしても自分がこの世で生きている意味とか、自分とは何かが気になります。周りの刺激に心を左右されずに本当の心の平穏というものを得たいと思うので、坐禅や瞑想をはじめ、山の中のヒルクライムトレーニングをするのですね。

 

修験者が山で修行をするのとたぶん同じような感覚で、山の中のヒルクライムトレーニングをしているのだと思います。心と体に周りからの刺激に一々反応していられないほどの負荷をかけることによって、自分と自分の心に向き合う状態ができるのですね。要するにある意味「無心」の状態になるのです。ここからは無心のヒルクライムが始まります。禅ではこれを「三昧」と言います。まさしくヒルクライム三昧ですね。

 

まあこれもその人の好みで、そこまで自分を見つめて生きて行きたいと思う人はやればいいわけであって、やらなくてもまあまあそれなりに一生は終えることができます。ただ心の平穏というものを求めるならば、一々周りの刺激に反応しちゃう心では、生きている間に真の心の平穏を得るのは難しいと思います。

 

願っているだけでは願いはかないません。だからと言って「坐禅や瞑想をすると心の平穏が得られるか?」というと、そうとも限りません。後はその人の資質によるところもあります。

 

でも何もしなければ何も起こりませんからね。周りの刺激に反応しながら生きていくのが人生だとは私は思えません。とりあえず私はこれからも修行とヒルクライムトレーニングを続けて、心の平穏を求め続けながら生きて行きますね。

 

合掌

 

仏光

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