神や仏は存在するか? | 仏光さんの心の相談室

神や仏は存在するか?

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今日からジムが始まります。5日間ゆっくり体を休ませたので、今日からのトレーニングが楽しみです。午前中少し仕事をして、昼食後トレーニングに行く予定です。いつものスケジュールでトレーニングするので、今日は上腕二頭筋と肩の僧帽筋のトレーニングになります。何となく休んでいる間に体が大きくなったような気がします。筋肉が休まってその間に少し肥大したのでしょうね。

 

さて、前回のブログで宇宙をつかさどる大いなるものの存在の話をしました。私は仏教から多くの知識や知恵を得ましたが、だからと言って私の中に仏を崇拝するという概念は全くありません。お釈迦様はもう2500年前に死んでいるのでもう居ません。死んでいる人が今生きている私を助けることはありません。私が救われているのはお釈迦様が生きている時に説いた真理や知恵を身につけることによって救われているのです。

 

お正月に初詣に行った人が多くいると思います。年に一回「私と私の家族がどうぞうまく行きますように・・・・」と神様にお願いしておみくじを買うのですね。どれだけの人が本当に神様がお賽銭の額に応じて自分の願いを聞いてくれて、「自分だけはうまく行く」と思っているのでしょう?

 

私は仏にしても神にしても、もしそういうものが存在しているとして、自分の自分勝手なお願いは聞いてくれないだろうなと思います。これは簡単に想像できることです。もし私が神様にとなって神社の本殿に祭られているとします。そこに多くの老若男女が来て、自分の普段の生活は一旦棚に上げておいて、「どうぞ自分と自分の家族だけはうまく行きますように」とお願いされても、それを「ああそうですか」と神様になっている私が相手の自分勝手な願いを、お賽銭の額に応じて聞き入れることは絶対にないと思います。

 

本当に神社に神様が居るとしても、私ですらしないことを神様がわざわざするとは思わないので、私はそういう初詣はしませんね。だから後ろに大勢の人が並んでいるのに、お賽銭を入れて、一人一生懸命時間をかけて初詣で拝んでいる人をテレビなどで見ると、何とも言えない気分になります。でも年間の行事として、お正月に家族と一緒に初詣に行って今年一年の決意などを新たにするのは大変良いことだとは思いますよ。

 

私はそういう一般的な概念の中にある神や仏を信じるということはありません。でも宇宙をつかさどる大いなるものの存在は具体的な体験を通して実際に居ることを知っています。私のところに来る年間延べ5千人の人の内、3千人以上の人がお祓いによって心身の不具合が目の前で良くなるのを毎日見ていると、そういう力を私に与えた大いなるものの存在を実感するし、また見えないし、聞こえないけれども厳然と存在する3次元とは別の次元があることがよく分かります。

 

私は年に一回出雲大社に行きますが、神代の時代に天照大神(あまてらすおおみかみ)が出雲の国作りをした大国主命(おおくにぬしのみこと)に「出雲の国を私に譲ってくれ」と言った時に、国を譲る代わりに天照大神は見える世界をつかさどり、大国主命は見えない世界をつかさどる約束になったそうです。

 

これは私が出雲の神様に呼ばれて行ってから古事記を読んで知ったことです。私がお祓いという行為で霊障という見えない世界を何とかしていることを考えると、最初は訳も分からず「どうしても出雲大社に行かなければならない」と感じて、就航したばかりの静岡~出雲のFDAの飛行機に乗って出雲大社に行った理由がよく分かるような気がします。

 

私は苦しい時に神様が摩訶不思議な力で助けれくれるとは思いません。苦しい時に自分を助けるのは自分の人間力です。だから毎日精進して自分の力を向上させていかなければならないと思っています。宇宙の大いなるものは存在しているけれども、それが私を見守り助けてくれるのは、私が私を助ける精進をしている時であると思っています。

 

私が何もしないでボケーっとしていて、それでも宇宙の大いなる存在が私を助けてくれるとは到底思えませんね。ましてや私が何年も修行を続けた上で人の悪口を陰で言ったり、人の心を傷つけたり、真理から外れた間違ったことをしていて、大いなる存在が私を助けることなどあるわけがないと思います。したがって大いなる存在が私を助けてくれるには、精進を絶やさず、できるだけ真理に基づいた生き方をしていることが必要不可欠なのですね。

 

この宇宙の大いなる存在を既存の宗教が言うように「神」と呼んでもいいのですが、神は別に初詣の時だけではなく、神社に行った時だけでもなく、いつでもどこでも存在しているし、いつでもどこでも私を見ている存在であると言ってもいいのです。普段は無神論者としてその存在を否定した生活をしていて、初詣や困った時だけ神に助けてくれというのは自分勝手の極みです。

 

もちろん自分の人生を助けるのは自分です。何もしないでボケーっとしていて真理から外れた生き方をしているのと、毎日精進を欠かさず、真理に沿って生きているのとどちらが良い人生を送れるかというと精進を欠かさず真理に沿っている方ですね。しかも精進を欠かさず真理に沿って生きていると大いなる存在(神)が助けてくれるのだから人生が良くなって当たり前なのです。

 

幸運を自分に引き寄せるというのはこういうことです。これが幸運のメカニズムなのですね。普段はボケーっと生きていて、真理について学ぶこともせず、神や仏の存在を否定しておいて、初詣の時だけ神様に「他の人はさておき、どうぞ自分と自分の家族だけはうまく行きますように。」とお願いしても全く意味がないのがよく分かると思います。

 

一番大切なのは普段の生活の精進と自分の心のあり方なのですね。神様が後押ししてくれてもしてくれなくても、今年一年、日々仕事に生活に精進して、修行を欠かさず暮らしていきたいと私は思いますよ。

 

合掌

 

仏光

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