お釈迦様の教えとは・・・ | 仏光さんの心の相談室

お釈迦様の教えとは・・・

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今日は大晦日です。スタッフは先週の土曜日で休みになりましたが、私は日曜日と月曜日に仕事をして、今日はやっと休みかなと思っていたら、やっぱり急な仕事が午前中に入って今年は最後の日まで仕事となりました。私にとっては望み通りで、今年も良い一年の締めくくりになりました。昼はやっぱり温泉に行って、常連さんに「良いお年を・・・」と挨拶して、ゆっくりと温泉に漬かって疲れを癒しました。

 

温泉に漬かりながら、今年も一年が終わったのだなという実感が湧いてきたのが嬉しかったですね。特に仕事で「令和の改革」を行って、思い通りの結果が出ているので、来年はこれをもっと広げていきたいと思っています。除霊という世の中では胡散臭いものとして片付けられている分野に、圧倒的な回復の具体的及び客観的な結果でもって公に挑戦することにしたのですね。私はかねてから今までの60年の人生は、これから始まる第三の人生の準備期間で、私の人生はここからが本番なのだと思います。

 

私は仏道修行を20年近く続けてきましたが、お釈迦様が説いていることは結局すべて自分のためにすることだという結論に達しました。お釈迦様は「自分を抑えて人のために尽くせ」などとは決して説いてはいません。人ではなく自分を見て、自分を高めて、自分で自分を救えと言っているし、それが真理なのだということを説いているのです。

 

例えば「恨みに対して恨みを返しても恨みは遂に鎮まることはない。恨みを捨ててこそ鎮まる。」と説いています。相手に嫌なことをされたのに、恨みでもって相手に対処するなと言っているのです。私は最初これは「不公平だなあ」と思っていました。相手が悪いのに「何で自分の気持ちを抑えなければならないの?」と思っていたのです。

 

他人に対しては、「うまくいっていればこん畜生。失敗すればざまあ見ろ」というのが世間一般の人間の反応です。そんな中で「何で自分が恨みを捨てなければいけないのか!」というのが腑に落ちていなかったのですね。それでも「恨みを捨てよ」と言うから、とりあえず「こん畜生」と思っている相手に対してお釈迦様が言っている通りに恨みの感情を持たないようにしてみました。

 

するとどうでしょう。やっぱりこっちの方が心が平穏に暮らせるのです。恨みを持ったままならば、相手が不幸な目に逢うことを望み、「ああしてやろう。こうしてやろう。」と思い、そして挙句の果てに相手が非業の死を遂げるところを何回も想像して、「あん畜生、こん畜生」と毎日思っていることでしょう。それで心が心地良いということはありません。だからあっさり恨みを捨てる方がよほど気持ちよく毎日生活できるのです。そして毎日の自分の働きも目覚ましく良くなります。

 

一見相手を想い、相手のために慈悲の心で「恨みを捨てろ」と言っているようにも聞こえますが、全くそういうことではなくて、全部自分のためになるように言っていることなのです。のちの坊主が浅はかな理解力で、あたかも「自分を犠牲にしてみんなのために尽くしましょう」みたいなことを言って、それが慈悲心のように思いこんでいる人間も世間には居るのですが、それは大間違いですね。

 

すべてのお釈迦様の教えは自分で自分を救うために言っているのです。言い換えると自分で自分を救える人間になるトレーニングが修行なのですね。人を救うトレーニングが修行ではないのです。今回仕事で「令和の改革」をしたのも、私自身、自分で自分を救えるようになれたかなと思ったので実行したのですね。決められた修行を終了すれば、「自分は救われた」と思い込んでいる人間も居ますが、そんなことはありません。

 

お釈迦様が言うように本当に自分で自分を救えるようになると、他人も全く自然にそして簡単に救えるようになることを毎日の仕事を通して身をもって分かりました。だから改革を行ったのですね。いくら決められた修行を終了しても、目の前にのたうち回っている人が来てその人をその場で救うということはできません。

 

「まずは正しい修行を続けて、だんだん心が素直になっていって・・・・そしてその時あなたは救われるのですよ。」と観念で言うかもしれませんが、今のたうち回っている人にとってはそんなこと言われても屁のツッパリにもなりません。その場で具体的に痛みをとって、その人を客観的に救うことが真に「救う」ということです。本当に自分で自分を救える力が出てくると、こういうことが自然にできるものなのだということがよく分かりました。

 

修行の観念で「自分は救われた」と思いこんでいる人間は、そういう相手には「病院に行け」と必ず言います。自分で何とかしようという気はさらさらないのです。まあまあ元気な人に対して、観念で「修行で救われるのだ。ふにゃ~」と言っている分にはいいのですが、本当に今、具合が悪くて困っている人が来ると実際はやりようがないのです。しかし私のところに全国から来る人は病院では治らなかった人がほとんどなので、そういう理屈は通らないのですね。

 

「まずは自分で自分を救えるようになる。すると自然に周りの人も救われるようになる」というのが真のお釈迦様の教えであるのだと私は思いますよ。修行の観念ではなく、真の意味で自分が救われていない人間がいくら偉そうなことを口で言っていても、立派にそして厳かに儀式を行っていても、人を救うことはできないのです。それがそいつが本物か、偽物かを見極めるよいガイドラインですね。

 

そういう意味で高野山の開祖、弘法大師などは不思議とも言える力で困っている人をその場で救い、人々の健康を願ってあちこちに湯治のための温泉を開き、本当にすごい人だなと思います。真に人を救えない人間は口で仏教や禅の難しい言葉を使いながら、何もできない自分を繕うように色々理屈や能書きを言い始めます。

 

とりあえず、自分の心の平穏のために心のトレーニングをすることはより良い人生を拓いていくためには本当に大切なことです。「人ではなく自分を見よ。そして自分で自分を救え」ですね。真の意味で自分を救えるようになると、私が毎日仕事でやっているようなことが簡単にできるようになります。

 

ブログを書いている途中で近くの曹洞宗のお寺に除夜の鐘を突きに行ってきました。境内には竹灯籠がいっぱい灯され、灯篭の中でゆらゆら光るろうそくの灯で映し出される風景がとっても幻想的で綺麗でした。

 

そして集まった同じ地域に住むアメリカ人の人達と甘酒を飲んで盛り上がってきました。まあ私の長男も一緒にみんな英語で盛り上がっていたので、田舎の禅寺の大晦日としてはとっても異例なことだったと思います。一年の締めくくりとして楽しい大晦日になりました。もうすぐ新しい年になりますが、新年が皆さんにとって、そして私にとって幸せな年になりますようにと願っています。

 

合掌

 

仏光

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