何事も発心(ほっしん)が大切 | 仏光さんの心の相談室

何事も発心(ほっしん)が大切

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昨日は昼過ぎまで仕事がとっても忙しかったので、仕事が空いた午後の時間に肩の筋トレに行ってきました。それでもやりきれない種目があったので、仕事が終わった後にも少し筋トレに行きました。それから夕食を食べたりしていたら、疲れて寝てしまいました。

 

今日も朝から色々忙しいのですが、仕事の合間にできるだけ集中してブログを書こうと思います。今日は土曜日で夜も瞑想教室を教えるので、今書かなければたぶん書く時間がないので頑張ります。

 

私は毎日瞑想とか坐禅とか修行をしますが、ただ毎日やればいいということではないのがよく分かります。禅では「発心(ほっしん)」と言いますが、「なぜそれをするのか?」という動機の事を指します。発心が間違っていると何年頑張って修行しても、まあ箸にも棒にもかからない人間になります。

 

それどころか「俺は修行をしているのだ~!」という自負が出てくるので、修行していないよりもっとたちが悪いかもしれません。だから発心というのは大変大切なのですね。例えば禅で老師になれば道場でも「偉い」ということになっていて、そうなりたいから修行をするというのは間違った発心です。もちろん口には出さなくても、心の中にその思いがあれば間違っているのですね。

 

修業とはまずは自分を救うためにするものです。自分を自分で救えることができれば、人も救うことができるようになります。それは言葉や観念ではなくて、例えば目の前で痛みで苦しんでいる人がいるとすると、その人の痛みをその場ですぐに取り除いてあげる力というものが正しい修行をすると実際に出てきます。

 

多くの場合観念で、「自分は救われた」とか「修行済度、生きとし生けるものを救う」とか言っていますが、全く具体性に欠けます。正しい発心による正しい修行をすると、ちゃんとその場で人を救う力が客観的に誰が見てもすぐにわかる具体的な結果を伴って出てくるものです。まあそれ以外は、本人がその気になっていても言葉、観念、思い込みですね。

 

そういう意味で今私のところで修行をしている人たちは、良い発心に基づいて修行されていると思います。そうでない人は私が何もしなくても自然に去っていきましたが、今修行に来ている人たちは私が見ても「いい人たちだな」と思えるのでとっても楽しいです。そしてその数も増えているのが嬉しいですね。

 

まあ非営利の社団法人なので、一人来ても一万人来ても私には一銭も入ってきませんが、そういうことはどうでもいいのです。そういう人達は私がはっとするような気付きを与えてくれます。やはり正しい発心で熱心に修行をしているのがよく分かります。だから一緒に修行をしていて気持ちがいいですね。

 

正しい発心かどうかは、その人の人生の中に出てくる結果によってのみ確認することができます。でも自分が素直に自分の心に聞いてみて、自分の勝手な理由が動機になっているのかどうかくらいは分かるはずです。もしそれが自分勝手な動機であれば、それは正しい発心とは言えないのですね。

 

人は自分には甘いので、自分に色々な理由をつけながら知らず知らずの内に自分勝手な動機に流されていくものです。自分勝手な動機に基づく人生がそれほど豊かなものではないことは簡単に想像できます。

 

私が外資の社長をしていたころ、金銭を含めて物質的には豊かでしたが、心は本当に貧しかったですね。それが自分勝手な動機に基づく人生です。日本人の平均寿命からすると、私は後20年ほどしか生きられません。若いころに散々間違った発心で人生を生きて来たので、せめてこれから先は正しい発心に基づく人生にしていきたいと思います。

 

合掌

 

仏光

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