心を分かち合える人は少ない | 仏光さんの心の相談室

心を分かち合える人は少ない

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昨日は何とか雨が降る前に自転車で山の中を5km走ることができました。昨日はジムが休みなのでいつものように温泉に行ってきました。実は一昨日もちょっと時間があったのと天気が良かったのでジムで筋トレしてから温泉に行きました。昼休みにこんな時間の使い方ができるのはありがたいです。

 

もし死ぬ前の日までこのままのペースで昼休みに筋トレや温泉に行けるかなと考えると、「こんなありがたい人生は無いな」と昨日は温泉に浸かりながら思いました。まあこれも諸行無常で、何時までもという訳には行かないでしょうが、できるだけ元気をキープして続けていきたいと思います。

 

最近ジムのサウナ風呂で曹洞宗の寺の和尚さんと一緒になります。向こうはプロのお坊さんなので頭をクリクリに剃っています。私が「お坊さんですか?」と話しかけると嬉しそうに答えてくれて、それからとっても仲良しになりました。まあ禅宗は曹洞宗と臨済宗しかありませんが、私は臨済宗なので宗派は違いますが、お互い禅者として色々話すのがとっても楽しいのです。

 

修行の仕方も曹洞宗と臨済宗では違います。曹洞宗は只管打座(しかんだざ)と言って、ただ頭を空っぽにして坐ることになっています。臨済宗では数息観と言って、吸う息吐く息を数えながら坐ります。どちらがどうこうという事はありませんが、やり方が違うのですね。

 

ただ話しているとまあ似たようなことをしているので、話していて面白いのです。でも他の人が聞いたら禅語ばかり使っているのでまるで暗号で話しているみたいに聞こえるかも知れません。その和尚さんは私より若そうですが、九州出身で駒澤大学に行って、福井の永平寺で修業をしてお坊さんになったのですね。

 

でも話していて結局は修行の仕方などは大きな問題ではなくて、自分がどのような人物なのかが一番大切なことだと気づきます。いくら長年修行をしても、知識が増えているだけで心が変わらない人も居れば、少しの修行でごろっと変わってしまう人も居るのです。それはその人それぞれですね。

 

自動車教習所のように卒業すれば、みんな自動車免許が取れるのではなくて、「ここまで修行をすれば、みんなこのような人物になります」という事は禅の修行ではありません。私は最初禅の公案200則を通れば、みんな凄い人間になるのだと思っていましたが、そうとは限らないのだと実際にこの目で見ていてよく分かりました。

 

その和尚さんは私と楽しくいつもサウナで話しているので、お互い禅では似たような心の境涯かも知れませんね。まあそんなことはどうでも良いのですが、私に取ればジムのサウナでも楽しい話ができるし、温泉のサウナでも常連さんと楽しく話ができるし、まあこんなありがたい昼休みの過ごし方はありません。

 

人というのは浅く広く付き合っている分には楽しいものです。深く付き合える人は本当に限られています。そしてそれも時間と共に変わっていきます。それは相手も変わっていくし、自分も変わっていくからですね。これも諸行無常です。もし時間の流れを超えて付き合える人が居るならば、それだけで大変幸せなことです。

 

人は一人で生きて行くのは難しいですが、人が大勢いても生きて行くのが難しいものです。私は多くの人と広く浅く付き合います。そしてその中で自分の心の内が話せる人はほんの一握りです。でもその一握りの人のお蔭で随分私は助けられていると思いますよ。

 

そういう人が人生を豊かにしてくれるのですね。惰性で長く付き合う人は居ても、なかなか本当の心を分かち合える人は居ません。もし居れば大変幸せなことで感謝するといいですね。それが良い人生につながっていきます。ありがたいことですね。

 

合掌

 

仏光

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