話してもそしられ、黙っていてもそしられ・・・ | 仏光さんの心の相談室
2019-06-09 21:13:32

話してもそしられ、黙っていてもそしられ・・・

テーマ:人格、人間力

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今日は雨の日曜日。ちょっと遠くの町まで前から頼まれていた職場と自宅の除霊に行って来ました。まあ、いくら科学的な人でも目の前で起こっている現象は否定できません。信じるとか信じないとかのレベルではなく、目の前で起こっている現象は何とかしなければなりません。何故ならそれが現実ですから。今日職場や家を除霊したので結果は明日以降に分かりますが、ちゃんと私に霊的なものが居るのが分かったので、今日の除霊でまず大丈夫だと思います。

 

世の中ではこれを胡散臭いと言います。公にはとりあえずこういうことは胡散臭くて怪しいことにしなければならない事になっています。また私を悪く言いたい人は色々な話をでっち上げながら、「ほ~らやっぱり胡散臭いでしょう?そういう人間なんですよあいつは~。」と喜んで言える絶好の機会とネタを私は自分のブログを通して提供しています。何故なら何をしても、また何をしなくても、世の中には人のことを悪く言いたがる人間が絶対に居るからです。

 

だから私はそういう人達に私のことを悪く言えるネタを提供して上げていることになるのですね。その方が私の悪口も言いやすいでしょうから。人が私のことをどう思おうが、それはその人の問題で私の問題では無いと心から思いますから私は平気です。だから言いたい奴には言わして置けば良いのです。どうせ悪口言っている奴も、言われている私も遅かれ早かれ死にますから、宇宙全体から見ればそういう事は大した問題ではないのですね。

 

反面、本当に私のところに来て心身の不調が良くなる人は心から喜んで帰って行かれます。毎日平均95%は良くなりますが、霊障の場合は今のところ100%が劇的に良くなりますので、誰が何を言おうと現実は現実で気になりません。「あるものはあるし、居るものは居る」のです。それが現実で変えようが無いのですね。

 

お釈迦様は、「話してもそしられ。黙っていてもそしられ、およそこの世でそしられないものは居ない」と言っておられます。だから2500年前のインドでもお釈迦様のことをそしる人間が居たのですね。「そしる」とは相手の心や名誉を傷つけるように意図的に陰で悪口を言うことです。もちろんこういう人間は日本の何処にでも居ます。あのお釈迦様でもそしられていたのだから、私がそしられてもまあ当たり前なのですね。

 

もしあなたが相手の心や名誉を陰で傷つけて、「ヒッヒ、ざまあ見ろ」と喜ぶ人間であれば、とりあえず自分の生き方をすぐに変えていった方が良いでしょう。その方が幸せな人生を過ごせますから。自分のしたことは自分に返ってきます。また、そういう心無い言葉で多くの傷つく人が出ます。理由がどうであれ、人を傷つけて喜ぶ人間にやっぱり私はなりたくありませんね。私も言われたら言い返していましたが、もうバカらしいのでやめました。

 

そうなると言われっぱなしになるのですが、そこが自分との勝負で、少々の悪口程度のことを言われてもびくともしない実力があれば良いのですね。良い悪いは別にしてアメリカのトランプ大統領ほど悪口を言われている人間も世界的には珍しいのですが、やはり彼は自分の実力に自信があるのでびくともしませんね。たぶん再選されるくらいのサポーターもアメリカ国内に居ます。そして悪口を言っている奴の方が大統領と比べると相対的に小者です。

 

別に傲慢な意味ではありませんが、私も自分に与えられた力と、天が私を見守っている事に絶対の自信を持っていますので、まあ考えてみればビクつく必要は無いのですね。さっきも言いましたが、大体人をそしっている人間というのは元々小者で、勇気も無ければ、実力も無い人間です。勇気も無く実力も無いのだけれどもプライドはあるのでので、陰で悪口を言うくらいしかできないのですね。そうしながら私がつまづくのを待っているのです。言い方を変えればこういう小者の陰口は、負け犬の遠吠えみたいなものなのです。

 

こういう人間は実社会でも口や観念ばっかり達者で、実力が無いので、職場でも本人の認識とは裏腹に大した仕事はしていないはずです。そういう人間がとりあえず、またこれも小者の衆を頼んで悪口を言いながら相手の心や名誉を傷つけたいと日夜頑張っているのです。同じ頑張るならもっと良い事に日夜頑張ったらいいのに、可哀想だけれどもそれがその人間に与えられた実力と人生です。

 

実力のある人間、そして心の大きな人間はやっぱり人をそしったりはしませんね。それに気付いた時、私は人に言われっぱなしになっても何も自分が傷つかなくなりました。そしてそしっている人間は何時かその報いを受けるのですが、まあ生きている間にその報いを受けている方がまだマシです。死んでからその報いを受けるととんでもない報いになります。私は毎日除霊をしていてそれが良く分かるような気がします。それも毎日私の目の前で起こっている現実です。

 

本当に霊とかが見える人は「先生、霊などそこら辺にいっぱい居ますよ。」と言います。私には見えたり聞こえたりしないので分かりませんが、冷静に考えてみると実力があって心の大きな人間が、死んだ後に霊となってこの三次元の世界に迷っているということはまず無いでしょうね。この世で迷った霊となっている一部は分をわきまえない実力も無い小者で、実力がない分人の悪口を陰で言って、人の心や名誉を傷つけてほくそ笑んで喜ぶような人間の死んだ後の心の姿だと私は思います。

 

人にはそれぞれ分というものがあります。そのそれぞれの自分の分を守りながら、人の心や名誉を傷つけず、意地悪もせず、困った人が居たら自分ができる事を一生懸命して、毎日積極的な心で生きている人は誰でも漏れなく成仏できると思いますよ。成仏とは死んでから心のエネルギー体(霊)となって、物理的にこの3次元以外の行くべき次元に行くことです。これに気付いたら誰でも今から生き方を変えていくべきですね。職場でも何処でも誰かが居なくなると、すぐに居なくなった人の悪口大会が始まる日本の社会ですが、自分はそうならない覚悟が必要です。

 

もちろん中には「死後の世界などあるか!霊など居るか!人生など一回こっきりで関係ないわい。」と思う人も多く居ます。霊とか、そういう事は公には胡散臭く、怪しい事にしなければいけないことに日本の社会ではほぼ憲法に拠るがごとくなっていますので、どうしてもそういう人が多くなります。そしてそういう人の中には今まで通り何も気にせず人の心や名誉を傷つけながら、それを喜んで生きていくことになる人も居るでしょう。まあ可哀想でご苦労さんな話ですが、死んでからはどうぞ気をつけて行ってらっしゃい。

 

それにしてもやっぱりお釈迦様というのは「人間の真理を見ているな~!」と思います。「話してもそしられ、黙っていてもそしられ、およそこの世でそしられない者は居ない」とは真を突いていますね。私はこの言葉で今の社会で随分救われました。これからも真実を伝えながら私なりに頑張っていきますね。本当にありがとうございます。

 

合掌

 

仏光

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