清濁併せ持つ | 仏光さんの心の相談室
2019-03-03 12:20:25

清濁併せ持つ

テーマ:人間形成

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昨日は予定通り昼休みに筋トレをしたのですが、土曜日の筋トレメニューは軽目なので、時間が余ってしまいました。そこでFightdo(ファイドウ)という格闘技系のエアロビを初めてしました。スタッフでインストラクターの女性がいつも熱心に誘ってくれていたので試してみたのですね。45分間のハードなエアロビです。大丈夫かなと思って始めましたが、日頃の有酸素運動のお陰か、61歳の年齢を考慮しても問題なく45分間出来ました。その後ランニングマシーンで通常の有酸素運動もしました。これなら毎土曜日やってもいいなとその時は思いました。

 

ところが今日の朝布団から起きようとしたら、腰が筋肉痛でとっても痛かったです。動いているうちに痛みは取れてきましたが、やっぱり普段使っていない筋肉を使ったのだなと思いました。身体にとって結構運動になっているのがよく分かります。私は痛いのが嫌なので格闘技など決してしませんが、このエアロビはシャドウボクシングみたいなものなので痛いのは筋肉痛だけです。まあ色々新しいものに挑戦するのも楽しいことです。

 

そういう意味では私もちょっと新しい生き方を始めました。私には今まで毎日四六時中抱えていたジレンマがあります。それは仏道修行で真理を知り、それを実践していくことは人生にとって大変重要な事で心が素直になり、また正直になって行きます。しかしこの世の中ではこういう正直で素直な心は自分を無防備にするのですね。それを分かった上で修行、仕事、生活をしていたつもりですが、時々本当に普通とされている人を含めた世の中のあり方が嫌になることがあります。

 

元々私は海千山千のアメリカ上場企業の役員でしたから、世の中の表と裏、人の表と裏、お金の表と裏は世界中で嫌というほど見て来たし、戦略の練り方、戦術の立て方など大学院のMBAどころでは無い非常に高度なビジネスに関する実践教育も会社のセミナーでガンガン受けて、と言うか受けさせられて、それを実際に行ってきたからこそ世界ビジネスの世界で通用してきました。もちろん私は世の中に以前のように対応しようとしたら、いくらでも対応できる能力と体力はあると思いますが、せっかく仏道修行で得た真理と自分の心をこの世に合わして暮らしていく中で曇らせたくは無かったのですね。

 

しかし人間の歴史を見ると理想は美しくて平和ですが、その歴史は残酷です。私が仏道修行で得る真理というのは本当に人としての理想の姿です。しかしそれだけではこの世の中ではやられっぱなしになるというか生き難くなるのですね。そういうことが分かっていたし、相手の心が分かっていても、わざとそのようにしていた部分もありました。

 

知識だけの人は「いやそういう事は無い。この世で充分理想は実現できるはずだ」と頭で理論理屈を並べて言いますが、実際世の中ではそういうことはないですね。もしそうであればもっと今頃素晴らしい世の中が出来ているはずです。

 

そこで自分がどのようになるかというと、八ヶ岳みたいなところで人とあまり関わりあうことなく、毎日修行しながら自然を相手にして静かに暮らしていきたいと思ってしまうのです。真理を知れば知るほど人の心の中に潜む自分勝手が見えてきますから嫌になってしまうのですね。それが私のジレンマでした。少々物質的に生き難くなるのは屁でもないのですが、人の心の中に潜むものが見えるのは本当に嫌です。そしてその潜むものに本人すら気付いていないのですね。

 

もちろんみんながみんなそうではありませんが、多くの場合、そのように思えることがまたこういう仕事をしていると毎日起こるのです。そこで私の心の中でこの人の世に対する愚痴や文句が出てくるのですね。私が少し生き方を変えたというのは、そういう人を含めた世の中を心の中で疎ましく思うのではなくて、積極的に関わっていくことにしたのです。

 

私が昔アメリカ企業で対処していた事はもっと複雑だったし、何をするのにも人の欲と大きなお金がいつも絡んでいました。せっかくそれに対処できる教育を受け能力を持っているのなら、積極的に世の中というものに対処した上で、それに流されずに自分の理想を実現して人にもその真理を広めて行こうと思ったことです。嫌がって逃げていても何も達成できませんからね。愚痴や文句が増えるだけです。

 

これは修行という観点から見ると高度な修行です。山の禅寺で、仏道の雰囲気の中で自然相手に一人で修行をしている方が100倍楽です。世俗の中に飛び込んでいって、自分の仏道修行をもっと深い部分で続けていくのですね。昔は禅の世界で確かこれを「聖体長養」と言っていたと思います。寺の修行を終えて世俗の中でただ一人、世俗にもまれながら修行をするのです。これは何十年も続いた例もあるし、そのまま死を迎えた例もあります。私もこれからこれを積極的にします。

 

世俗から逃れて綺麗に過ごす事は簡単です。年金で両親が残した山小屋で質素に暮らせばいくらでも暮らせます。でもこういう生き方にどれだけの意味があるのだろうと思うのですね。せっかく自分に与えられた力をやっぱり嫌でも何でもこの世の中で正しい目的のために使わなければならないし、そういう世俗の中で人と関わりあいながら自分の理想とする生き方を貫いて行きたいと思いました。

 

先週からそうしたのですが、既にその効果は仕事の結果に如実に現れています。自分にはあくまで厳しく生きますが、人や世の中には清濁併せ持つ度量を持ちたいですね。濁だけとか清だけは簡単ですが、両方兼ね備えた上で「清」なのです。それが私の中でなかなか出来ていませんでした。さてどれだけ自分が流されずに自分の修行を成就できるか、これからが私の修行の本番ですね。

 

合掌

 

仏光

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