人の評価に合わせた人生にしない | 仏光さんの心の相談室
2018-11-14 22:37:40

人の評価に合わせた人生にしない

テーマ:悩まない道

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今日は仕事がそれほど忙しくなかったので、昼休みに充分トレーニングする時間があったのですが、今日は楽なトレーニングメニューの日だったのでゆっくり昼休みを過ごす事ができました。昨日のトレーニングがハードだっただけに身体にとってはちょっとしたお休みですね。今日も少し嫌だなと思うことが仕事でありましたが、その後に弟子が仕事場に来て話していたら気分が晴れました。気分が晴れない時に誰かと話をするのも良いものですね。明日はまあまあ忙しい日になりそうなので、良い気分でゆっくり寝るつもりです。

 

私は私の著書にサインをする時に名前と共に「如是」という言葉を書きます。「如是」というのは「あるがまま」という意味です。人は色々な顔を持っています。職場での顔、家庭での顔、友達と居る時の顔など色々な「顔」、いわゆるキャラを持っているのですね。人とはその場その場で期待される顔、またはあるべき顔をするのです。「人からこう思われているから、そういう人間で居なければならない」という考えで色々な顔を持つようになります。

 

また人は「こうありたい」と思う理想のキャラになろうとします。英語ではセルフイメージと言って、自分のイメージとは何かを自分で決めてそのような顔、服装、言動になっていきます。「私はこのような人間ですよ」と周りの人に思ってもらいたい人間になろうとするのですね。しかしそれはあくまで作った自分で、本来の自分とは違うのです。

 

そして自分は「こういう人間ですよ」というセルフイメージが周りに定着してくると、いつもそうあるべきだと思って、いつもそのような「顔」をするようになります。それが知らず知らずの内に自分にとってプレッシャーになっていくのですね。実際の自分とは違うわけですから。私も昔外資の社長をしていた時は、そういう顔をしていました。しかしそれは本来の自分とは違う顔です。

 

要するに外に向けた「顔」と内に向けた「顔」が違うのですね。世の中みんなそんなものでしょうと多くの人は思っています。選挙の時に手を振っている政治家と実際の本人とは全然キャラが違ったりします。東大卒で自分の秘書を「禿げ~」と蔑んでいた女性政治家も過去には居ましたね。そのテープがマスコミに流れると次は本性見え見えの弁解が始まるのです。これは内と外が全然違う良い例です。まあ大体そういう政治家が多いですね。そういう意味では良い悪いは別にしてアメリカのトランプ大統領は結構あるがままの珍しい政治家です。

 

今の私はそういう気遣いをする必要がないのと、やはり仏道修行のお陰でまあまああるがままの顔で何処でも生きていけるようになりました。何処でもあるがままで、まず自分を作ることはありませんね。本当に困っている人には特に優しくなりますが、これは自然とそうなります。何処でもあるがままで生きていけるのはとっても楽でストレスが少なくなります。例えば分からない事があると私は「分からない」と言います。「先生だから」と分かったふりはしません。

 

中には「先生でも分からないのですか?」と言う人も居ます。でも分からないものは分からないので、馬鹿と思われようが、大した奴では無いと思われようが私は「分からない」と答えるのです。よく除霊などをすると「どんな霊が憑いていたのですか?」「何処で憑いたのですか?」などと聞かれます。分かった振りして「先祖の霊が・・・」などとは決して言いません。分からないので「分からない」と答えます。

 

稀に痛みなどで何が原因で痛みが起こっているのか分からない時も「分からない」と答えます。決して分かった振りはしないのですね。そして何が原因なのか徹底的に調べる努力をします。それで相手が私のことをどう思おうが、それは相手の自由で私の問題ではありません。弁解がましいことや取り繕うような事は言いません。分からない事で相手が私のことをどう思うかなど気にしないし、気にならないのです。だからあるがままの私で居れます。

 

私はいつもあるがままで生きて行きたいし、あるがままで生きていって何の支障もない人間でありたいといつも思いながら仕事や修行をしています。今のところあるがままで生きていて、大きな支障は何も無いのでありがたいなと思います。「如是」、あるがままで生きるという事は自分の人生を生きるということです。あるがままで問題があるなら、そのあるがままの自分を直していかなければなりません。

 

いざとなった時に作った自分ではなくて、あるがままの自分が出てきます。最近では歳がいって認知症になってもあるがままの人格が出てくる例が多いですね。脳の老化などで認知症になると理性が働かなくなるので、あるがままのその人の人格が出てくるのだと思います。認知症になって怒りまくっている人が居る一方、大変穏やかな認知症の老人も居ます。これがその人の本性なのでしょうね。本当はあるがままの自分がどうなのかみんな心の奥底では知っているのです。でもそれでは都合が悪いので色々な顔を作るのですね。

 

私は死ぬまであるがままの自分で生きていきたいと思います。最後までそれを通す事ができたら、私は私の人生を生き切った事になります。あるがままの自分で何か支障があれば自分の本性はそのままで、その場その場をつくろうのではなくて、あるがままの自分を変えていくのですね。もちろんすぐには変りませんが、私は毎日の私の仏道修行で自分を変えていきます。誰かに押し付けられた型にはまった修行ではなくて、自分の仏道修行です。これは今まで自分が変わってきた実績があるので信用できます。

 

禅の公案の答えを老師に見てもらって「良し」と言われるような観念的なものではなくて、自分の修行の結果は私の事業に、生活に、健康に良いも悪いも如実に全部出てきます。これは人の評価ではなくて、数字に出てくる厳然たる結果です。これによって私は私を客観的に評価します。事業の場合は売り上げや利益の安定度、筋トレではウエイトの重量、健康では血液検査の結果など、自分の修行は自分の人生に全部出てくるのです。これを自分で判断して自分を変えていくのですね。

 

あるがままに生きて心の平穏を得られるならば、それが本物です。あるがままに生きることは難しい。でもあるがままに生きないと自分の人生ではなくなり、人の評価に合わせた人生になります。だから私は自分の著書に仏光のサインと共に「如是」と書きます。これはその人のためというより、自分のために書いているのですね。人の評価で生きると常に人の評価が気になるので、死ぬまで心が平穏になることはありません。何をしても人は色々評価しますからね。あるがままに生きて心は平穏。これが私の理想の人生です。これからも頑張って精進していきますね。

 

合掌

 

仏光

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