自分の人生を生きているのか? | 仏光さんの心の相談室
2018-11-07 23:41:17

自分の人生を生きているのか?

テーマ:物の見方を変える

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今日も昼休みにガンガン筋トレをしてきました。最近は筋肉の痛みも無く、調子が大変良いです。61歳になりますが、これは大変ありがたいことだなと思っています。今日も私と同じ歳の男性がひざと股関節の痛みで来られたのですが、とても同じ歳には見えません。スタッフもその差にちょっと驚いていました。その人が歳以上に老けているわけではなくて、私がとっても若く見えるのですね。これもトレーニングのお陰です。

 

でも話していて最も違っていたのは、心のありようだと思いました。その人はまあ大手の会社に勤めていて、60歳になって定年退職して、それから嘱託として同じ会社で働いておられます。そういう環境のせいだと思うのですが、やはり歳相応の気持ちの持ちようと言うか、「もう自分も60を越えたのだから・・・・」という考え方ですね。私は自分の歳などあまり気にはしていませんが、多くの人は「もう自分は○○歳だから・・・」という考えを持っています。そして自分と周りを見比べながら歳相応の言動をするようになるのですね。

 

この「自分は○○歳だから」と思うたびに、そして口に出すたびに、「自分は○○歳だ」と自分に自己暗示をかけているのです。すると自分がかけた暗示の通りに自分の姿が歳相応になっていくのですね。私が61歳と言う時には、「とてもじゃないけど自分は61では無いな」と同時に思っています。もちろんトレーニングなどで身体を鍛える事は大切ですが、一番大切なのは頭の中身ですね。いつも柔軟に物事を見るには「自分はもう○○歳だから・・・」という概念は捨てるべきだと思います。ましてや自分で自分に無意識のうちに○○歳と言って自己暗示をかけ、わざわざ老ける必要は無いのですね。

 

歳相応というのはある程度自分で作っているのです。それは世間に自分の基準を置いているからですね。世間の常識、良識、周りの人に合わせるということは、自分と世間の基準を見比べながら、「あの人達もそうだし、まあ自分もこんなものかな」と自分を世間の基準に合わせているのです。これが悪いとは言いませんが、私は自分の基準を人間社会に置いていないような気がします。

 

仏道修行をしてきたお陰で「真理」というものに触れ、それを理解し、毎日の修行で「真理」を自分のものとしていくと、自分の基準が世間一般では無いことに気付きます。「世間はどうであれ自分はこうだ」というものができてくるのですね。「梵我一如、宇宙と我と一体」という仏道修行の一番の命題を身につけると、世間の中でもちろん何の不自由もなく生活できるのですが、周りが気になるということも無くなります。

 

考えてもみてください。この広大な宇宙を地球から1光年ほど宇宙船で飛んで行ってふと振り返っても、地球など周りの星にまぎれて何処にあるのか分からないほど小さなものです。その地球の上にへばりついて生きている人間の社会の中で自分が偉いとか金持ちとか、そんなものがこの広大な宇宙でどれほどの価値があるのかと思うようになってきます。するとそんなものに価値はほとんど無い事が分かるのですね。

 

もちろん生きているので、できるだけつつがなく生きていけるだけのものを所有するのは必要だと思いますが、そういう所有物に価値を置くなど本当に小さな事だと分かるようになります。ましてや他の人が自分をどのように思っているかとか、どんな事を言っているのかなど、全くどうでも良くなるのですね。

 

多くの人は誰かが自分の悪口を言っている事を知ると、それがとっても気になります。私はもし誰かが私の悪口を言っていても「それはそれは残念ですね。あなたが・・・」と普通に思います。残念なのは相手で自分が残念だとは思いません。だから全然気にならないのですね。私が気にするのは自分が真理に沿って毎日ちゃんと生きているのかどうかだけです。

 

陰で人の悪口を言っている事が真理に沿っているわけが無いので、気にならないし、「アホやなあ・・・。どうぞ頑張ってやっていて」くらいにしか思えないのですね。しかしこういう悪口を言っているのが世間一般です。まあ50年近く坐禅の修行をしても、まだ私の悪口を陰で言って回っている情けない禅者も居たので、人間社会とはそういうものだと思います。だからますます私はそういう人間社会を自分の基準には置きませんね。

 

そんな事に気を使っている時間があれば、私は世間のことより自分のことに気を使います。自分をもっと向上させる事に自分の時間とエネルギーを使いますね。知らず知らずのうちに自分が何に基準を置いているのか、振り返ってみる事も大切だと思います。人間社会のことしか知らなければ人間社会が自分の基準になります。

 

「周りがそうだから自分も・・・・」と何の疑問も持たずに自分を周りに合わせている人間も居ますが、それは自分の人生を生きていることにはなりません。周りに合わせて自分が生きているだけです。周りに合わせて生きている間に気持ちが上がったり下がったりしているだけなのですね。そして周りに合っていれば自分は遜色なく生きていると思い込んで安心するのです。また自分が周りから外れていれば焦り悩みます。せっかく生かされているのに本当にもったいない話です。

 

出世したとかしないとか、金があるとか無いとか、社会的地位がどうだとか、まあこういうことに価値や生きがいを置いている人は、自分を宇宙から見れば小さな小さな人間社会だけに基準を合わせて生きているだけだと思った方が良いでしょうね。まあちっぽけな話です。生きがいとはそんなちっぽけなものではなくて、自分の人生を自分で生きることです。それが真理に沿っていれば、これほど生きがいのある人生は無いのですね。

 

自分が自分の人生を生きているのか、周り(世間)に合わせて生きていて、それを自分の人生と思い込んでいるだけなのかを人それぞれによく考えるべきだと思いますよ。それにはまず真理を知ることから始めなければなりませんね。釈迦の仏教の原典とかキリストの聖書とかモハメドのコーランとかヒンズー教の経典ギターでもオリジナルな聖人達はその基本において全く同じことを言っています。みんな「自分を愛するがごとくに、周りを愛せ」と言っています。これがまあ永遠の真理の一つだと思いますよ。

 

合掌

 

仏光

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