心のバロメーター | 仏光さんの心の相談室
2018-04-04 00:34:28

心のバロメーター

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昨日は仕事が忙しく、筋トレした後の午後の仕事が特に忙しく、さすがにバテました。家に帰ってからお風呂に入って早めに寝ました。今日は仕事がそれほど忙しくなく、昼には水泳をしたので昨日の体の疲労が回復できました。昼の水泳はフィンを付けずに普通に1000m泳ぎました。フィンを付けなければ遅いけれどもとっても楽に泳げます。トレーニングと言うより、心身ともにとってもリラックスできました。明日はまた筋トレに戻ります。

 

先日ふと筋トレが、私の老後の楽しみになっているのだと気付きました。旅行に行ったり、庭仕事をしたり、釣りなど好きな趣味に没頭したりするのが一般的な老後の楽しみですが、私の場合は筋トレが老後の楽しみなのですね。こんな事になるとは1年前には想像もしなかったことです。今でも一日の中で筋トレをしている時が一番楽しいです。

 

もちろん重いウエイトを挙げているので、身体的にはとてもしんどい時間なのですが、それが楽しいのですね。何故なのかなと考えると、これは自分への挑戦が数値ではっきり分かるからですね。だから楽しいのです。これからも私の歳が増えていきます。今年は61歳になります。この歳も数値です。だから61歳で何キロのバーベルを上げているのか、自分への挑戦の結果がはっきり数値で出るので楽しいのですね。

 

考えてみれば、糖尿病を治す時もそうでした。自分で血糖値が計れるキットを薬局で買ってきて毎日血糖値を計っていたのです。食事管理や運動の結果がリアルタイムで血糖値という数値に表れます。これがとっても面白かったです。おかげさまで3週間で糖尿病も完治しました。自分への挑戦の結果が数値で分かるのは本当に面白いです。だから一日で最もしんどい筋トレの時間が最も楽しいのでしょうね。

 

ただ心の境涯となると、これは数値で表す事はできません。毎日修行をしていても結果がはっきり分からないのですね。そこに言葉や観念、思い込みが入り込んでくる余地ができるのです。まあ私が道場で禅の修業をしている時はそうでしたね。長年坐禅をしていると、いくらでも悟ったような顔をする事はできるし、小難しい禅の理屈も言えるようになります。でもこれは心の境涯とは何の関係もないことですね。人に見せる、また見てもらうための禅になります。

 

そこで私は心の境涯を計るのに、「心身一如」と言う禅の教えを使うことにしました。「心と体は一緒だよ」という事です。いくら公案200則を通って仮に老師と呼ばれるようになっていたとしても、成人病を初めとする慢性病で体が病んでいて病院の薬をパカパカ飲んでいるようでは、それは体だけではなくて、心が根本的に病んでいるという事になります。「心身一如、心と体は一緒だよ」と人に説きながら、「いや私の病気だけは別です。」とは言えないのですね。これでは言動不一致で本物の禅とは程遠いものになります。仮にも禅の指導者であるならば、自分の病気くらい自分だ治せて当たり前です。そうでなければただの見てくれ指導者という事になります。悲しい事にそういう輩が結構世の中には居るのです。

 

もちろん先天的な問題や細菌による感染症、事故の後遺症などがあって身体に異常がある場合は別ですが、心の境涯が本当に高くなっていけば、殆どの場合自分の病気は自分で治せます。まあこれは医学的に既に当たり前のように証明されていることですが、少々のストレス状況があっても脳が正常に機能すると自律神経のバランスが保たれ、免疫機能や回復機能が向上して病気になりにくくなるし、例え病気があってもちゃんと回復します。がん細胞を食べてまわる血中のナチュラルキラー細胞の数も増えて、がんになりにくくなります。

 

ストレス状況で脳が正常に機能するというのが、心の境涯の一つのバロメーターです。要するに心の境涯が高いのです。普通、心の境涯が低いと、すぐにストレス状況に影響されて感情の起伏を自分でコントロールできなくなります。心が乱れて大概の場合は交感神経優位になって自律神経のバランスが崩れます。これにより不眠症から始まり、胃潰瘍やガンを含め様々な病気が始まります。本当に心の境涯が高ければ、こういうことには生理学的になりません。

 

この心と体のメカニズムは大学を初めとする世界の医療機関での研究で散々実証されている事実です。昔の修行僧は経験的にこの真理を知っていたので、「心身一如」と言う言葉を作って人々に心と体の真理を説いたのですね。だから長年修行をして悟ったような顔は作れても、またいくら言葉や観念で「長年の修行で公案200則を通って、自分は大したものだ」と密かに本人は思い込んでいても、体は嘘を言わないのです。

 

もちろん老衰で体が衰えていくのは自然の摂理ですが、慢性病になるのは心のどこかが病んでいるからです。ましてや治りもしない病院の薬を何年もパカパカ飲んでいるようでは、一体何十年も何の修行をしてきたのか?という事になります。いくら修行をしていても、自分が救われていないのに人を救えるわけがありません。それは制度の中での形の修行であり、実践的な結果が出る修行ではないのですね。

 

傲慢な意味で言うわけではありませんが、今回私は自分で重い糖尿病と高血圧を薬を一かけらも飲まずに3週間で治しました。60歳前に筋トレを始めて1年足らずで大学時代より重いウエイトが挙げられるようになりました。その結果をそれぞれビフォアー&アフターの数値で確認する事により、「心身一如」の真理を図らずも自分の体で具体的に体感する事ができました。

 

空腹時血糖値285、血圧190/110と記載された昨年の医療機関による健康診断の結果のプリントは今の私にとっては自分を戒めていく宝物であり大切に保管してあります。私は自分の体験を基に、今困っている人の手助けになればと合掌瞑想を始め、結果が出る実践的な心のトレーニング法を教えています。それをちゃんと結果が出るまで続けるかどうかはその人の自由です。何事も途中で止めて良い結果が出るわけがありません。ましてや歴史や由来、言葉や観念、形や制度では具体的な結果は出ないのですね。当たり前の事です。

 

歳をとるとその人の生き様が全て出てきて個人個人に大きな差となって現われます。小学生の時はそれほど差が無くても、歳をとると人間に雲泥の差が出てきます。80歳でステーキ食べながらエベレストの登頂を果たしている人も居るし、88歳になってスポーツジムでダンベルトレーニングをしている人も居るのです。一方もっと若くして寝たきりになったり、慢性病が悪化して死んだりしている人も居ます。厳しいかもしれないけれども、私はこれはこれでその人の生き様の客観的な結果であると思います。

 

寿命の長短は人には決められません。事故や災害で死ぬ事もあります。でも、もし死ぬ前の日まで健康で元気であれば、その人の心は死ぬ前の日まで元気であると言えます。それが「心身一如」の真理です。なるほどなかなか計る事ができないと思っていた心の境涯も、このような真理を持って体の健康を基に図ることができるのですね。ただ元気なだけではダメで、その元気な心と身体をもって、歳をとっているならば自分のためではなく、世のために何をしているのかが本当にその人の心の境涯が問われるところです。

 

 

これは聞いた話ですが、昔一生禅の修業に身をささげた有名な和尚が、高齢になって自分の死期を悟り、弟子に旅装束をつけてもらって寺の門を出て行きました。10歩ほど行ったところで動かなくなったので弟子が見に行くと、和尚は杖にもたれかかるように死んでいたという事です。私はこの話は嘘だと思っていましたが、案外「本当にあったかも・・・」と思うようになりました。私がもし死ぬ前の日まで楽しそうに筋トレをしていたら、私は私の心の軍隊でもって私自身への健康の挑戦に勝った事になります。そういう日が来るように明日も筋トレ頑張りますよ。「心身一如」。なるほど本当に良い教えですね。

 

合掌

 

仏光

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