高い精神性が幸せを作る | 仏光さんの心の相談室
2018-03-02 06:54:20

高い精神性が幸せを作る

テーマ:幸せになる方法

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昨日はスポーツクラブが休館日で、私も一日身体を休めました。昼は久しぶりに昼寝をしました。これはこれでなかなか良いものです。私の仕事場の近くには有名企業の工場がいくつかあり、そこで働いている人が心を病んでこられます。話を聞いてみると、「これでは心が病んで当たり前だな」と思うような企業風土の中で過ごしているのが分かります。利益優先で長時間労働など、人が人として扱ってもらっていない印象を受けます。

 

私も昔日本企業に勤めた事がありますが、私の場合はとてもじゃないけどこういう風土の所では働けないと思いました。結構意地の悪い上司などが居て、周りの人間も自分の身を守るために見てみぬふりをしたりして、実際に職場で困っている人が多いです。もちろんそういう職場ばかりではありませんが、結局のところ何だかんだ言っても、「まあ自分さえ良ければいい」と思っている人が大半で、上司になる人間も自己顕示欲が強くて部下を押さえつけようとしている人が多いです。まあ「自分はエライ」と本人も思い込み、それを顕示したいのですね。自分さえ良ければいいと思っている人間が多いので、みんなも表面上はそれに付き合うのです。

 

私の場合は自分で独立して食べていける事ができましたが、みんながみんなそういうことができるわけではありません。生活するために嫌でも何とか組織の中で働いて給料を貰わなければならないのです。名前を言えば誰でも知っている有名企業から何人も心を病んだ人が来られます。「今の日本は一体どうなっているのだ?」と大きな懸念を抱いています。そういう働く風土の中でどのようにして自分の心を守っていくのか?これは大きな問題だと思います。

 

私も昔同じような経験を日本の会社組織の中でしているので、心を病んで私のところに来る人の気持ちがよく分かります。私も独立した時は、「もっとお金を儲けてやろう」と思っていたわけではなくて、「一人で食べていければ良いや」と思って始めました。事業が上手くいかずに路頭に迷うリスクが大きかったのですが、何とか10年間食べていける事ができました。最初の1年間くらいはどのようにして食べていたのか、今更思い出せずに不思議に思う時もあります。今となれば本当に独立して良かったなと思っています。

 

その時の私の決断は、安定した収入より、私の心の健康を優先したのだと思います。人間は心が全てであり、心を病んでまで経済的に安定していても仕方が無いと思うのですね。生きていくのに必死な方が心を病んでいる暇がないので良いのかも知れません。考えてみれば昔の人は生きていくのに必死だったので、心を病む人は少なかったと思います。しかしその中で今よりもっと豊かな精神性が日々の生活の中にありました。どの先進国でも物質的に豊かになると心を病む人間が増えていきます。

 

物質的な豊かさと心の豊かさとは反比例するのですね。アメリカは心が病んでいる人間が多いのと同時に銃が世の中にいっぱいあるので、学校で銃を乱射しています。日本も物質的に豊かになって心がどんどん貧困になっていっているのですが、誰もが幸せになれない社会がすぐそこに来ているような気がします。心が純粋で素直な人ほどそういう社会の犠牲になっていきます。悪い奴ほど強いという世の中は私は間違っていると思うし、心の底から嫌だと思います。

 

ではどうすれば良いのか?となるのですが、私は個人個人がその精神性を高めるしか人生を本当の意味で全うすることができないのではないかと思っています。個人的には今までの宗教はどんどんこれから廃れていくと思います。何かを崇拝して助けてもらおうというのは、いくら崇拝してもそのようにはならないので廃れると思います。私もお釈迦様は「偉いな」と思いますが、お釈迦様を崇拝しているという事はありません。そういう意味では私は全く宗教的ではないと思います。私が何かを崇拝するという事はありませんから。自分を頼りに生きているだけです。

 

でも幸せになりたいのなら、高い精神性はこれからより一層個人に求められると思っています。そういう世の中では個人個人が高い精神性を持たなければ幸せには暮らせないからです。周りがどうであれ、高い精神性を持つと幸せに暮らすことができます。例えば表面的には普通にして置きながら、影でラインなどを駆使して人の悪口を言っている人間が多い中で、自分さえ高い精神性を持つとそんな事は気にならなくなります。

 

そのような人間のために自分の大切な人生の時間を無駄にしようとは思わなくなるからです。要するに高い精神性を持つという事は心に軸ができて、周りに左右されずに心がぶれなくなるのですね。お釈迦様が言う「サイの角のようにただ一人進め」ができるようになるのです。私は私のところに心を病んでくる人の職場での話などを聞いて憤りを感じますが、私はその人が自分の心の中にある幸せに気付くように精一杯限られた時間で努力します。

 

気付くか気付かないかはその人の運にかかっているような気もします。気付く人は救われるし、気付かない人はいつまでも世の中の既成概念を引きずりながら不幸せに暮らします。まあ何もしなければ何も変わりません。本当に可哀想だと思うのですが致し方ありません。来られる人に合掌瞑想などを教えますが、既存の宗教団体みたいに組織を大きくしようとかそういう思いは全くありませんね。一人一人が救われていけばそれで良いと思っています。仲間が居ればそれはそれで良いことだけれども、本当の幸せは仲間の中にあるのではなくて、個人の高い精神性の中にあるのです。

 

日本の場合は遺伝子的に集団への帰属意識が強いですが、私など全く誰の助けも借りずに自分で事業をして食べているし、自分で修行して、何の集団に属さなくても毎日幸せに暮らしています。集団への帰属意識が強いと、集団から仲間はずれにされる事が恐怖になりますが、私は何の集団にも属していませんが、全くこの世で生きていくのに不自由を感じません。要するに会社などの集団の中に安心を求めていると、常に集団から仲間はずれにされる恐怖が付きまとって、真の安心など絶対に得る事ができないのですが、自分の精神性を高めていくと、「サイの角のようにただ一人進め」で、嘘みたいに一人で充分安心だし幸せになることができます。

 

私が何の集団に属していなくても、私のところには毎日多くの人がやってきます。その人たちの心身の痛みをとる事に一日の殆どの時間を使っているのですが、私はそれで充分幸せです。幸せという事は安心という事です。本当の意味で幸せになるには、自分で高い精神性を得なければならないのですね。そのために私は毎日合掌瞑想や坐禅の修行をしていますが、合掌瞑想の方法も習いたい人には教えて、その人が幸せになってくれれば良いのです。

 

こういう生き方に私は本当の幸せを感じます。道端に咲く一輪の花や、満天の星空や、空に浮かぶ白い雲を見て心の奥底から幸せを感じられるだけの高い精神性を持てば、職場の人間関係などどうでも良くなります。ちゃんと努力すれば誰でもそうなります。集団の中で「一緒や、一緒や」と喜んでいるだけではなくて、本当はみんな「サイの角のようにただ一人進め」で生きていくべきなのかも知れませんね。そこに本当の幸せがあると私は思いますよ。

 

合掌

 

仏光

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