思い通りにならない人生をどうする? | 仏光さんの心の相談室
2018-02-25 11:16:29

思い通りにならない人生をどうする?

テーマ:生死を明らめるは仏家の一大事なり

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昨日も忙しい中、筋トレをする事ができました。ちょっと疲れ気味かなと思ったので無理をしないようにしました。それでも筋トレをした後はすっきりしました。今日は日曜日で午後に歯医者に行ってから水泳に行こうと思っています。天気予報では今日は雪だったのですが、雪が少し遅れているみたいで夜から降るみたいです。だから今夜からまたゲストハウスに泊まる予定です。

 

昨日の合掌瞑想教室で話したことですが、人生は何でもかんでも自分の思うようにはならない苦があります。お釈迦様はそれを求不得苦と言っています。これは人間ならばみんな味わう基本的な苦なのです。思い通りになった時は何の問題もありませんが、人の真価が発揮されるのは思い通りにならなかった時です。私にも日々思い通りにならない事が起こりますが、それを苦に思うか、苦に思わないかはその人の心の境涯にかかっているのですね。

 

自分の心をコントロールしていくのは大変な苦労が要ります。中にはそれほど苦労し無くても良い人も居ますが、私は自分を振り返ってみて心の状態を平穏に保つのに苦労が要る人間だったと思います。だからこそ自分の心を何とかするように色々努力ができたのだと思います。放って置くと自分がだめになりそうなので、何とかしようと色々試してきたのですね。お陰さまで最近は大体自分が理解した通りに心も動いてくれるようになってきました。もちろんまだまだなのですが、昔から比べると大違いです。

 

毎日自分が思う通りにならない事が起こるのですが、それで心を痛める回数が減ってきました。要するに苦が減ってきたのですね。最近の話ですが、何か自分の思う通りに物事が運ばない時に、自分に対して「どうせ遅かれ早かれ寿命は尽きるのだから・・・・」と言い聞かせます。人間にとってこれほどはっきりした事実はありません。生まれた時から私がいつか死ぬ事は決まっているのです。どうせ遅かれ早かれ私は死ぬのです。自分の死など見て見ぬふりをするのが普通なのですが、私はあえて自分の死を現実のものとして見るようにしています。

 

物事が思い通りになっても遅かれ早かれ死ぬし、思い通りにならなかっても遅かれ早かれ死ぬのです。同じ遅かれ早かれ死ぬのならば、思い通りになること、ならない事をいつまでも気にしていても仕方がないと思うのですね。そして実際に気にならなくなります。これは明日死ぬと決まっている人が、将来のことを思い悩まないのと似ているかもしれません。どうせ遅かれ早かれ死ぬのならば、嫌な気持ちで過ごす時間は無用だなと思えるのですね。そうすると嫌な事が気にならなくなり、「ああなるのではないか?こうなるのではないか?」と心配する事も少なくなっていきます。

 

それよりどうせ遅かれ早かれ死ぬのならば、もっと楽しい事をしようと思えるのです。一生懸命努力していても、報われるとは限らないし、嫌な思いもしなければなりません。そういう時に人は落ち込むのですが、そういう時にこそ「どうせ遅かれ早かれ死ぬ」と思うと何か勇気が湧いてきます。そしてまた頑張れるのですね。落ち込んでいるのと勇気が湧くのとでは天と地の差があります。自分の寿命が尽きる事を本当に現実的に心の奥底から感じられる事が出来るようになると、今生きている事自体がありがたく感じられてきます。

 

思い通りにならなかっても、「まあ生きているだけで死んでいるよりかはマシかな」と私は思えます。何をいくら心配しても、いくら悩み苦しんでもどうせ遅かれ早かれ死ぬのだから、それだったらまあ楽しい気分になることをしようかなと思えるようになるのですね。毎日これ以上は無理と思うくらいに仕事も生活も修行もした上で、まだ思い通りにならないのですから、それはもうしょうがないのです。それを一々気にしていたら人生は苦に満ちたものになりますが、気にならなくなると人生は捨てたものではないと思えます。

 

何も努力せずに「いつか自分は死ぬ」などと思っていても、それはただの怠慢になりますが、「これ以上は無理」と思うくらいに一日を精一杯生きた上で思い通りにならない時に「どうせ遅かれ早かれ自分は死ぬのだ」と思うと勇気が湧いてくるのです。精一杯やった上で自分の思い通りにならない時に人は「こんなに頑張っているのに・・・・」と思って落ち込むわけですが、「どうせ遅かれ早かれ死ぬのだから」と思うと、思い通りにならなかったことが私は気にならなくなります。

 

人が悪口を言っていても「どうせ遅かれ早かれ死ぬ」と思うと気にならなくなります。悪口を言う人は、相手に面と向かって言う勇気はもちろんないので、陰にこもりながら相手のあることないことを、一人だけでは心細いので仲間を募って悪く言い、それが何時かは相手の耳に入ったり、周りの人が相手を白い目で見るようになって相手が傷つき、また相手の評判を落とす事を期待しながら、相手が落ち込み苦しむのを見て、「ヒッヒ、ざまあ見ろ」という快感を得たいから言うのです。

 

残念ながら人間の脳は嫌いな相手が苦しむのを見ると快楽物質が脳内で分泌されるそうです。だから人は無意識に脳が快楽物質を得たいから嫌いな相手が傷つくことをするのですね。まあ心の境涯が低い卑劣な人間のする行為なのですが、「世の中ではみんなそうだからそれが当たり前だ」くらいに本人は思っています。可哀想にその人はその人格で一生を過ごすのですね。

 

でも悪口を言っている相手も、言われている自分も「どうせ遅かれ早かれ死ぬよ」と思うと私は気になりませんね。だから言わせて置けばいいのです。その報いをいつか天から受けるのは相手であって私ではありません。もし世界中の人間から賞賛を受けたとしても、宇宙全体から見ればどうって言う事もありません。「それがどうしたの?」くらいのことです。

 

だから少々悪口を言われても、宇宙全体から見ればもっとどうでも良い事です。どうせ私達は遅かれ早かれ死ぬ存在なのですから、今、この時をできるだけ良い気分で過ごす事が大切なのですね。人の悪口を言っている暇があれば、人を賞賛している方が良いのです。なかなか理解したとおりに動かないのが心ですが、理解したように心を動かすトレーニングを心がけて毎日しているとやっぱり人生が良くなって行きますね。思い通りにならない人生、私はそれで良いのだと思います。

 

合掌

 

仏光

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