ちっぽけな自分の人生 | 仏光さんの心の相談室
2018-02-03 10:13:57

ちっぽけな自分の人生

テーマ:宇宙

仏光さんの心の電話相談室はこちらをクリック

 

仏光さんの心と体の学校Webサイトはこちら

 

昨日は昼休みにあまり時間が無かったので、筋トレの後ゆっくりお風呂に浸かることができませんでした。その代り、仕事が終わってからお風呂にもう一度スポーツクラブまで行きました。雪のせいで木曜日の夜からゲストハウスに泊まっています。山の家はすっぽり雪に覆われているみたいです。明日の朝には家に帰ろうと思っています。

 

私は料理をはじめ、家事一切自分ですることができて、一人で暮らしても何の苦労もありません。これは若い頃に一人でアメリカで暮らしてきたおかげだと思います。特に料理は、昼間大学に行って夜はレストランでシェフをしていたので大得意です。何でも生活に関しては自分でできることがいくつになっても大切だと思っています。でも裁縫とアイロンは苦手です。

 

今年の4月で起業してから10年が経ちます。あっという間の10年でした。最初は生活していけるかどうかも分からず、ずいぶん苦労をしましたが、今は変動があるにしてもまあまあ仕事としては落ち着いています。本当にありがたい事だと思っています。この60年の人生でやりたいことは大体できたと思います。

 

生きていればこれからも自分がしなければならない事が満載ですが、そういう人生で良いと思っています。隠居するなど考えたこともありません。死ぬ前の日まで仕事と修行をすることだけを考えています。バランスの良い食事と運動のお蔭で体の調子は大変いいです。この調子で死ぬ前の日まで行きたいものです。

 

では私がいつも幸せかというと、そうでもありません。これはちょっと通好みの話になりますが、お釈迦様は「人生は苦である」と説かれました。私は最近その真の意味がようやく分かってきたように思います。

 

これは収入が減って苦しいとか、職場の人間関係で悩んでいるといった「苦」ではありません。一生懸命生きてもいつかは寿命が尽き、自分の体は朽ち果てていきます。生きている間には嫌なことも楽しい事もいっぱいあるでしょう。それが人生です。

 

でもお釈迦様が説く「人生は苦である」の意味は、「いったい人は何のために生まれて生きているのか?」という「苦」です。目の前の事を一生懸命やっても、修行を毎日していても、いくら人様のお役に立てたとしても、何時かは自分の寿命が尽き、朽ち果てていく人生のはかなさを「苦」であるとお釈迦様は言っているのだと思います。

 

いくら金持ちになっても、いくら社会的地位が上がっても、寿命が尽きれば忘れ去られていきます。アルベルト・カーンというヨーロッパの富豪が残した100年前の世界各地の映像があります。これは人類の生活の記録としては大変貴重なものです。しかしそこに映っている人々の全員がもう死んでこの世には居ないと思うと、「自分もいつかは確実にそうなるのだ」と思うのですね。

 

映像の中で人々は世界各地で活気にあふれ、それぞれの風習に基づいて生活しています。100年以上前の日本の映像もありました。写真ではなく映像なので、人々の笑顔や真剣な顔をした生活の動きがありありと映っています。そしてそこに映っている人々はもうこの世に居ないのです。

 

「人生の本当の意味とか、そういう事は一切考えていません。」という顔をして100年前の世界の人々は映っています。今の世の人々の生活を映像に撮っても多分同じような顔をして映ることでしょう。お釈迦様は一国の王子として生まれ、何不自由ない生活をしていて、ある日、老人を見て、また病気や人の死を見て、「いったい生きているとは何なのだ?人生とは何なのだ?」という疑問を抱き、答えを見つけるために出家したのです。

 

私も同じような疑問を抱いたまま今日に至っています。「人生これで良いのだ!」と思える瞬間があっても、また「生きているとはどういう事なのだ?」と考えてしまう事があります。自分の欲を追い掛け回して「もっと金持ちになろう、もっと偉くなろう、もっと生活が楽になれば…」などと思っている間はこういうことは考えません。それが人生だと思い込んでいますから。

 

でもお金で買えるもので欲しいと思う物もほとんど無くなり、健康でさえいれば何とかつつがなく生きていけるようになって、社会的地位や権威、世間体など糞喰らえと思えるようになった今、「人生とはいったい何なのだ?」という疑問に自分が返っていくのですね。

 

これに対する答えはまだ自分の中で見つかってはいません。もちろんもっと仏道修行を進めながら、自分でこの答えを見つけていきます。長年坐禅などをしながら、「これだけ権威あるところで禅の修行をして、認められているのだから自分は分かっている」と思い込んでいる人も居ますが、その人の実際の言動を見ていると「やっぱり分かっていないな」と私は思うのです。認める方も認められている方も、それなりの雰囲気は醸し出しているけれども分かっていない。

 

私は今までの人生を振り返ると、まあ良い事も悪い事もありました。スポーツでは国体やインターハイに行けて、大学をはじめいっぱい世界中で色々な事ができて、アメリカの上場企業で役員や現地法人の社長もして、自分で起業することもできて、つつがなく暮らしていけて、仏道修行もできて、仏道に関する自分の著書も日本語、中国語、英語で3冊も出版できて、困っている人のお役に少しは立つこともできて、世間的には明日死んでも悔いは無いだろうと思っています。

 

しかし、「本当の意味でお前は何のために生きて来たのか?お前は人生を本当に生き切ったのか?」と考えると心の奥底からの自信はありません。人生で何をしたというのと、人生を生き切るというのでは本質的な意味が違うのですね。これが分かれば私の「苦」も無くなります。世間的にはどうであれ、自分はまだまだですね。

 

宇宙から見れば私は塵みたいなものです。1光年ロケットで地球から離れて振り返ると地球すら宇宙の無数の星の中で、どこにあるのやら分かりません。人間社会でたとえ何をやっても、たとえ大統領になったとしても、それは宇宙の塵みたいな人間社会で評価されていることだけであって、「それにどれだけの意味があるのだろう?」と考えてしまいます。

 

言葉や概念で「真理は宇宙のどこに持って行っても変わらぬ真理なのだ!」などと言うのは簡単ですが、お釈迦様のようにそれを我が物としないと人生の本当の安心は得られません。人生を本当の意味で生き切ったことにならないような気もします。これは大変ですね。

 

でもこういう事を考えたり、感じたりしていると、普段の生活の中での悩みや苦労は本当にちっぽけなもののように思われていきます。宇宙から見れば私の悩みなど,どうでも良い事です。これはこれで苦から逃れる良い方法かもしれませんね。まあとりあえず私は今日しなければいけない事を一生懸命やりますね。「人生とは苦である」と言うのはやはり宇宙のどこに持って行っても真理です。宇宙の塵でも生き切るしかないのですね。

 

合掌

 

仏光

仏光さんからのお願い

下二つのアイコンのクリックをお願いします
 

人気ブログランキング参加中。クリックをお願いします

禅僧 仏光さんの心の相談室-バナーブログランキング

ブログ村ランキング参加中。こちらもクリックをお願いします

禅僧 仏光さんの心の相談室-バナーブログ村

 

仏光さんのfacebookはこちらです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仏光さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

コメント

[コメントする]

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス