気にしない生き方
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昨日は土曜日でしたが、秋分の日で仕事はお休みでした。でも社団法人の方で大阪から大切な客人が来られたので、昨日の午後は客人が来られるまで、まず水泳をして、ちょっと仕事をしてから、みんなで夕食を食べに行きました。とっても楽しい夕食になって話は尽きませんでした。
今日は修行の後、その客人と近くの温泉地に行って、温泉には入らなかったけれども、食事や買い物をしました。これはこれでまたとても楽しかったです。修行をしながらこのような楽しい時間を作るのはとっても良いことだと私は思っています。最近は本当に真剣に合掌瞑想に救いを求めている人が来られますので、こちらも修行は真剣ですが、それだけではダメで、みんなで楽しく過ごす時間も大切です。
人生の時間は限られています。「厳しく修業をして、それなりの人間になりました。フニャ」だけでは私はつまらないと思うのです。と言うか、そういう人には人間の幅がありませんね。決まりきった事をまじめにする事だけが修行ではないのです。本当に困った人がそういう人のところに行って救われるとは私は思いません。
真面目、厳しさ一辺倒を修行と思っている輩は、その人自体、救いようがありません。不真面目が良いとは全く思いませんが、幅の無い人間は付き合っていてつまらないですね。私はそういう人と一緒に居ようとは思いません。真面目で厳しいところもあれば、底抜けに楽しいところもあるのが私は良いと思うし、それが人生です。初めて私のところに来られる方は、私のブログから得るイメージと本物の仏光さんとは少し違うとよく言われます。
思っているよりオープンでフランクだと言われます。私はそれらしく振舞うのが嫌いなので、いつもあるがままで過ごすようにしています。人とお会いするのもあるがままの自分です。作るところも無ければ隠すところもありません。私の人柄に関しては人がどう思おうとも見たまま、あるがままでいいので私は気が楽で良いのです。だから自分を良く見せようということはありませんね。
自分があるがまま過ごしていて、それで人様に迷惑にならなければ良いと思っています。そういう自分になることが大切なのですね。私は多くの時間を仕事や修行や身体のトレーニングに使っていますが、それは全部自分のためです。その結果として自分が人様のお役にも立つことがあれば、私はそれで充分ですね。
あまり大上段に構えると疲れるので、何事もさらりとしてしまう自分になりたいと思っています。それこそ宮沢賢治が言うように、「褒められもせず、苦にもされす、そういう人に私はなりたい。」です。私はこれが一番気楽で良いと思うのですね。自分を良く見せる必要など何も無いのです。
人からどう思われても気にならなくなるためには、自分が良いと思うことをこれ以上できないほど一生懸命することです。その上で人がどうこう言おうと、自分にはこれ以上できないのだから気にならないのです。私はそのようにして気にならなくなっていると思います。
人が自分のことをどう思っているのかが気にならない事ほど、自由で楽な事はありません。私はこれで良いと思っています。何かをすると必ず批判をする人が出てきますが、そういうことに心を費やすと心が病んでいきます。批判する人はあなたに嫌な思いをして貰いたいのです。心を費やしてできれば嫌な思いであなたに人生を送って欲しいと願っているのです。そういう相手の手にわざわざこちらから乗ることはありません。
いつも楽しいことを考える癖を心につけて、やっぱり楽しい事を実践することですね。私は嫌な事が次々起こる人生で、できるだけ楽しい思いで人生を過ごした人が勝ちのような気がします。
私は明日死ぬかもしれないけど、もしかしたら長く生きるかもしれないので、今から少しでも楽しく過ごせるように心がけています。それにはできることをやって後は気にしない生き方が私には向いています。どうせ遅かれ早かれ死ぬのだから、できるだけ楽しい思いで過ごせる心を作るのが大切ですね。
合掌
仏光
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