一日為さざれば、一日食らわず | 仏光さんの心の相談室

一日為さざれば、一日食らわず

今日は一日仕事を休んで、久しぶりにディズニーランドに遊びに行きました。クレジットカードのポイントで貰った券が11月になれば有効期限が切れるので、どうしても行きたいという事ではなかったのですが、半分無理やり行ってきました。たまに非日常を味わうのも気分転換になって良いものです。雨模様の平日にもかかわらず多くの人が居てびっくりしました。一番良かったのはディナーショーでしたね。少し高かったけれども楽しめました。

若い頃からアメリカでディズニーランドやディズニーワールドに何回も行って、もちろん東京ディズニーランドにも子供を連れて何回も行きました。私も年をとったのかなと思ったのは、乗り物より色々なショーを見ている方が楽しく感じたことです。基本的に乗り物には飽きてしまいました。昔みたいにワクワク感は無かったですが、一日楽しめたなと思います。変わったなと思うのは帰りに孫のお土産を買って帰ったことです。やっぱりおじいちゃんをしているなと思いました。

また明日から仕事ですね。私はやはりディズニーランドのような人ごみよりか、山に居る方が向いているみたいです。私の家内は私より早く寿命を終える予定みたいで、いつもそんなことを言っています。今思うのは、もしそのようになって、私一人になれば山の上で一人で暮していくつもりです。前はそうではなかったのですが、今はできるだけ誰の世話にもならず、仕事をして坐禅をして暮らしていきます。私が大好きな人に正受禅師が居ます。正受老人は江戸時代中期の人で私が尊敬している白隠禅師の師です。

長野県の飯田に正受庵という庵を構えて、毎日畑仕事と坐禅で暮らした人です。大名の落し種として生まれましたが、武士として超エリートなのに、一切の栄耀栄華を拒んで一介の禅僧として一生を全うしました。藩からはいろいろな経済的援助を申し出ましたが、「私には過ぎたるもの」として全部断ったのですね。唯一つだけ藩主から受け取ったのは、「少欲知足」と刻まれた蹲(つくばい)だけでした。つくばいはお茶室に入る前に手を洗う石でできた手洗い場です。

私はもし長く生きることができたら、死ぬ前には正受老人のような生活をして、一生の終わりとしたいと願っています。それは大層歳をとってからになると思いますが、畑を耕して、坐禅をして、絵を描きながら暮したいと思っています。死ぬ前日まで仕事をするのが夢なので、このような仕事をしながら人生の最後は暮したいのです。

歳をとってからこういうことができるようになるために、今は今の仕事を頑張ってやります。百丈和尚は百歳くらいになって「一日為さざれば、一日食らわず」と言っています。百歳になっても、「一日仕事をしなければ一日食うな!」と言っているのですね。今日私はディズニーランドに行って仕事をしなかったので本来ならば食べてはいけないのですね。でもミッキーマウスのショーを見ながらディナーを食べてしまいました。すみません。まあ最後は畑仕事だけになるかもしれませんが、仕事をして坐禅をして、正受老人のように心穏やかな最期を遂げたいと願っています。

合掌

仏光

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