迷わぬ者に悟りなし | 仏光さんの心の相談室

迷わぬ者に悟りなし

「迷わぬ者に悟りなし。」という言葉があります。世の中のことや自分自身に何の疑問も感じないでいるような人は、また悟ることも無いという意味です。迷うからこそ悟りも開けるのだという真理をついた言葉です。「大疑は大悟の基(もとい)」という言葉もあります。大いに迷うからこそ大きく悟るのだという意味です。自分自身の存在に何の疑問も持たず、世の中についても深く考えることもなく、良いこともしないかわりに悪いこともしないような人間は救いがたいということを仏教では言っています。

自分という存在に対して「何で自分は生きているのだろう?」とか「何でこんなに人生は苦しいことがあるのだろう?」とか「何で人の社会はこうギスギスしたりするのだろう?」とか色々な疑問を持ち人生に迷うからこそ、「その自分を何とかしたい」という思いから自分が救われる道が開けるのですね。人生に迷うということは辛いことですが、そういうことが無いとなかなか本当の幸せに人はたどり着けないのです。

大きな迷いがあり辛い思いをするからこそ、そこから「これだ!」という答えが見つかると自分が救われるのです。世の中で自分の人生を安全に安全に過ごしたいと思い、役所や大会社に入ってただ平々凡々と自分の身の安全を図り過ごしていくことに何の疑問も感じないような人は、ただそれなりの人生が用意されているだけです。周りと見比べて、自分がそこそこの生活ができて居ればそれで安心でそれで良いのです。そういう人は周りに困っている人が居ても「ああ、自分の身は安全で良かった。」と思うだけで、特に手を差し伸べようともしません。人はどうであれ自分さえ可もなく不可もなく安全に過ごせていれば良いのですね。このような人間が「私は悟りました」ということは絶対に無いのです。

まあこのような人は「悟りなどどうでも良いけど、自分の人生が安全ならばそれでよい。」と思うだけでしょうね。私はそれが悪いとは思いませんが、つまらぬ人生だなとは思います。そういう人と話していても適当に相槌を打つだけで、何も面白くはないし学ぶこともありません。ただその人はそのようにして人と自分を見比べながら一生を終えていくだけです。でも、組織の中でもまれ、自分の正義がなかなか実行できない現実に悩み、「いったい自分とは何なんだろう?人生とは何なんだろう?」と疑問を持つ人は人間として成長する機会が与えられるのですね。

私は外資の社長をクビになった時に「一体自分とは何なんだろう?今までの自分の人生は一体何だったのだろう?」と心の底から思いました。その時は絶望感に打ちひしがれましたね。死のうと思ったけれども死ねない自分が居て、その自分を何とかしたいために迷い苦しんで禅にたどり着いたのです。このような経験があったからこそ、正しい「道」を学ぶ機会も与えられて、今の自分の生活ができるようになったのですね。

だから人間、自分や自分の人生に迷うことなくして本当の幸せにはたどり着けないのです。今人生に迷っている人は苦しいかもしれないけれどもそれで良いのです。いつも前を向いて生きていればちゃんと自分が救われる道が見えてきます。腐ったりやけを起こしたりしないことですね。「迷わぬ者に悟りなし。」です。迷っても良いのです。いつも前を向いて生きていきましょうね。

合掌

仏光

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