自分が自分の救済者 | 仏光さんの心の相談室

自分が自分の救済者

私は今までの人生を振り返って思うのですが、結局自分を救うのはやはり自分しかいません。もちろん色々な人が手助けしてくれますが、最終的に自分を救うのは自分しかいないのです。自分で自分を救う努力をしているから人は助けてくれるのです。自分から人や組織を頼っている間はいくら偉そうにしていても、やはり心の中に弱い部分ができてしまいます。

私の場合、いくら外資の社長をして偉そうにしていても、組織から放り出されると、もうそこには一人では何もできない自分が居たのですね。偉そうにできたのは会社という組織があったからです。人はそのことを知っているので、如何に組織内での自分の身の安全を図るかにエネルギーを使います。組織から放り出されたら自分がえらいことになるからです。

ところが私は社長をクビになって大変苦しい思いをしました。その時に初めて自分の力の無さに気づいたのですね。その時まで持っていたお金や肩書き、権力などといった成功の価値観が全部崩れ去ってしまったのです。人間は自分の中で持っている価値観が崩れ去ると大変苦しい思いをします。だから大概の人は死ぬまで自分の価値観を捨てるということはありません。私の場合は否応なしに今まで持っていた価値観を保つことができなくなってしまったのです。だからもう死んでしまいたいとまで思いました。

今から思えばそんな程度のことで死にたいと思っている自分であったことを笑ってしまいますが、その時はそれで真剣だったのです。まあ何と力の無い自分であったのでしょうね。一人では何もできないくせに、会社という組織の中に居て偉そうにしていたのです。大体会社や役所に居て偉そうにしている程度の人間は、結局はたいした実力など持っていないのですね。組織や制度に守られて偉そうにしているだけなのです。一人の人間としてはたいした実力などありません。組織から放り出されたら途端に生きていくのに困ってしまいます。

私は自分の力の無さに気づかされて、死ぬ代わりにこの弱い自分を何とかしたいと思いました。そして禅の門を叩いたのですね。元々死ぬつもりだったのですから修行はきつかったけれども我慢できたのだと思います。人間死ぬ気だやれば大概のことは成就することができます。本当に死ぬ気でないから途中で挫折するのですね。

そして私は禅で救われたと思います。自分が坐禅の修行をしたから救われたのです。何もしなかったら救われることは無かったでしょう。いつまでも「ああでもない。こうでもない。」と頭でぐるぐる同じ事を考えながら自分の運勢が変わるのを漠然と待っている人間のまま一生を終わることになったでしょうね。

お釈迦様は「自分が自分の救済者である。自分という救済者なしに一体誰が自分を救ってくれようか?」と説いておられます。本当にその通りですね。人や組織、制度などを頼っている間は自分に一人で生きていく実力など付きません。考えてみれば、40万年、50万年前にホモサピエンスとして生きていた頃の人間は寿命は短かったですがもっと自立していたと思いますよ。

大自然の中で自分で狩をし、自分で食料を集めないと生きていけなかったのです。弱い人間、力がなくなった人間ははすぐに他の強い捕食者によって餌食になってしまいます。その頃はグループで生活していたとしても一人一人が自立していないと生きてはいけなかったのです。50万年前に会社や組織が自分を守ってくれるということは無かったのですね。自分で自分を救うしか生きていく道は無かったのです。

それがやはり人間の原点だと思います。いくら社会や文化が発達しても本当の意味で自分を救えるのは自分なのですね。お金に困った時に親兄弟などが助けてくれるかも知れません。でも人に助けてもらっているうちは自分に実力は付かないのです。次に同じようにお金に困ったらもう助けてくれる人は居ないかも知れません。その時に自分が本当の苦境に立たされるのですね。結局自分で自分を助けていかないと人間には実力など付かないのです。誰かが助けてくれるのを待っていても本当の意味で誰も助けてくれません。「自分という救済者なしに一体誰が自分を救ってくれようか?」というお釈迦様の言葉は真理ですね。大変ありがたい教えだと思いますよ。

合掌

仏光

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