愛と所有欲 | 仏光さんの心の相談室
2014-05-10 06:31:06

愛と所有欲

テーマ:人格、人間力
意外な事かも知れませんが、一般的に「愛」というのは美しいものと思われていますが、必ずしも一般に思われているように美しいものではないとお釈迦様は説いておられます。

「渇愛(かつあい)でがんじがらめになった人々は、罠にかかったウサギのように這いずり回る。拘束と執着に捕らえられて、永い間繰り返し何度も何度も苦しみを受けることになる。」(佐々木閑ブッダ心理の言葉より)

愛も慈愛とか仁愛とか相手の幸せを願い温かく見守るような愛情なら良いのですが、相手にこちらを振り向かせたいとか、相手の気持ちを自分以外のものへ向かわないようにしたいと思ったりするとそれはもう「渇愛」であり人間の煩悩です。本人は一生懸命「愛」と思い込んでいますが、自分が「愛」と思い込んでいるものがかなわないと、次は「嫉妬」という感情が湧き出てきてがんじがらめになって次々と苦しむことになるのです。こんなものは愛でも何でもないのですね。

ありとあらゆる理由をつけて「愛」と思い込んでいるものは、ただ単に自分の感情に流された煩悩の塊なのです。これこそが「無明」です。仏教で言う無明とは智慧が無いという意味です。本人は「こんな暖かい気持ちで相手を思っているのにフニャ~!」と思い込んでいるのですが、これはただ単なる自我であり煩悩なのです。

このような「愛」というものを持っている人は、自分が思うように相手が反応しないとすぐに相手に対して怒りの感情が出てきます。だからそのような人にとっては「愛」と「怒り」は同じ根源から生まれているのですね。こんなものは本物の愛情でも何でもありません。ただ単に相手を所有したいという欲望の現われなのです。自分の所有欲を「愛」と思い込んでいるのですから、そこからは苦しみしか生まれないのですね。

こういうことを知ることも無く(無明)、愛と思い込んでいるものを振り回していると本人だけではなく、周りも迷惑です。今社会ではストーカーが大きな問題になっていますが、ストーカーと呼ばれる人たちはみんな自分の欲望を愛と勘違いしている人たちです。相手が嫌がっているのに電話やメールをしたり、付きまとったりします。このような人たちはただ単に自分のものとして相手を所有したいだけなのですね。そして相手を所有できないと分かると殺してしまうというとんでもない人間も出てきます。「愛」と「怒り」が同じ根源から出ている人はこのようになってしまうのです。そしてこれは本人には止めることができないのです。これこそ煩悩の極みですね。

本物の愛情とは相手を見守り、相手を包み込んで、間違った道に行きそうになっていれば色々な手段を使って正しい道に連れ戻してあげたり、お互いが一緒に成長できるものです。これが慈愛であり、仁愛で本物の愛情なのです。自分の所有欲を愛情と思い込んでいる人は一生幸せになることはありません。「愛」と思い込んでいる煩悩の炎に焼き焦がれて苦痛を味わいながら一生を過ごすことになります。自分が好きだと思っている相手に怒りの感情が沸くようであれば、それは所有欲であって愛でも何でもないのですね。自分を振り返って「愛」とか「愛情」を確認するのは幸せな人生を過ごすためには大切なことだと思いますよ。それが知恵も持って煩悩による苦しみから抜け出す道ですね。

合掌

仏光
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