人生の責任 | 仏光さんの心の相談室

人生の責任

私は自分の人生で起こる事は全部自分の責任であると思うようにしています。「あいつが悪い。こいつが悪い。周りの環境が悪い。」などと思うと毎日腹を立てていなければなりません。実際は自分には何の落ち度もなく、他人や環境のせいで苦境に陥ることがあるかも知れません。まあその時はやっぱり腹が立ちますが、それも含めて「人生で起こることは全部自分の責任だよ」と思うようにするのです。そうすると不思議と怒りの感情が鎮まっていきます。

「人のせい」と思うと腹が立ち、「自分のせい」と思うと諦めがつきます。これは私が独立して自分で事業を始めてから特にそのように思うようになりました。自分で事業をするという事は、その事業で起こる全てのことに対して自分が責任を持つという事です。実際は自分でなくてスタッフがミスを犯すことがあるかも知れません。しかし、そのスタッフを雇い教育していくのは私の責任ですから、スタッフのミスも私のせいなのです。だから経営者で自分の会社の従業員を責めてばかりいる人は、「私はお馬鹿で経営能力がありません。」と言っているのと同じことなのです。

人を責める癖がある人がいますが、多くの場合その人は親などに責められて育っている場合が多いです。だからそれが当たり前になっていて何かがあると人を責めるのですね。今の日本の社会もすぐに「誰の責任?」ということになって、犯人探しをします。そして「これはこいつの責任。あれはあいつの責任」ということにして落ち着くのです。東日本大震災の時に、あたかも「地震が起きたのは東電のせい」と言わんがばかりの風潮が社会にあったように思います。地震は地震で東電は東電なのに、地震という自然災害に対して持って行きようのない不満の行き先を心の奥底でどこかに求めていたのだと私は思います。だから逆に何か問題があると自分の責任を問われないよう、責任逃れをします。

何かあった時に、責任を取ることにならないようにするためだけに余分な仕事を増やしている人や組織もあります。特に役所などはそのようになっているみたいですね。責任を取らされることが嫌なのです。しかしそのような生き方をするということは、ある意味いつもびくびくしながら生きるということです。これは人の好みの問題かもしれませんが、私は一回しかない人生でそのような生き方はしたくないですね。だから「自分の人生で起こることは全部自分のせい」と思うようにしています。問題の内容がどうであれ、そのように思うことによって私は自分が怒らないようにしているのです。

実際に死ぬ時になって「自分の人生がこのようになったのはこいつのせいだ。あいつのせいだ。」とは思いたくないものです。そして実際は自分の人生はやはり全部自分に責任があるのです。会社に文句があっても、その会社に就職したのは自分です。自分の伴侶に不満があっても、その伴侶を選んだのは自分です。その責任を思う時、今自分が自分の人生に対して何をしなければならないのか?ということが分かってきます。人を責めている間はろくな人生になりませんが、「自分に責任がある」と思うことができれば自ずと立派な人生になっていきます。立派に生きるということは自分の人生に全部自分が責任を持つということなのですね。

合掌

仏光

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