幸せのプロセス | 仏光さんの心の相談室

幸せのプロセス

昨夜から山の道場で修業しています。今日の朝は仕事で出てきましたが、昼からまた山に行きます。修行と言っても道場の新年会を兼ねた参禅会です。今日は仕事場に来る途中で世の中で一般に思われている幸せと本来の幸せとの違いについて少し考えてみました。


一般的に世の中では自分の欲が成就すると幸せと言われているのではないかなと思うのです。例えばお金が欲しいという欲がかなうと幸せ。エライ肩書きと権限が欲しいという欲がかなうと幸せと思われているのではないかなと思うのですね。これが大間違いなことに気付かずに一生を自分の欲の達成に費やして終わっている人が大変多いのではないかと思うのです。


なるほど自分の欲がかなうとその時は幸せな気分になりますが、すぐにその状態が自分にとって当たり前になり、「次はもっとこれが欲しい」という新たな欲のとりこになります。こんなことを一生繰り返して、何時までたっても満足することなく、いつも心に空虚感を持って一生を終わるのです。死ぬ間際には「まあ俺も良くやった。まあこんなものかな。」と自分に言い聞かせている人はまだ救われますが、「もっとこれが欲しかったのに!これでは死に切れない。」と思って死ぬのなら不幸な話です。言っておきますが、このような心はいくら自分がお金と権限を持っていたとしても常に死ぬまで付きまといます。


だから本当の幸せに気付くことが大切なのですね。世の中では幸せは築くものと思われていますが、これも間違いで幸せは気付くものだと私は思います。自分の幸せに気付けば一生幸せです。「これがあるから幸せ。これが無いから不幸せ。」という観念に心が浸かっている間は何時までたっても幸せにはなれないのです。自分の欲が達成されることが幸せではないのですね。こんなものは何時まで経っても満たされるということはありません。


人は心に空虚感があると不幸せと思うのです。その空虚感を満たそうとしてお金や肩書きなどを求めるのですね。実際人間が生きていくのに必要なものは食料や寝る所など本当はわずかなもので済むのに、何億、何十億のお金があってもまだ満足できないのです。これほど愚かな事は無いですね。昔の外資の社長時代の私がこの愚か者です。元々心とは無限のものです。その無限の心を金や肩書きなどの有限の物で満たそうとするから何時まで経っても不幸せなのですね。無限の心は無限のもので満たさなければ満足しないのですよ。今から考えると、その無限のものを探すのに私は坐禅をしたのですね。やっとその無限のものが見つかって良かったですよ。それが毎日の幸せ感につながっているのでしょうね。ありがたいことです。


合掌


仏光

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