幸せに幸運は必要か? | 仏光さんの心の相談室
2012-10-23 21:25:16

幸せに幸運は必要か?

テーマ:人間形成

世の中には運を気にする人が多いですね。私のところにも運勢とか占いとか好きな人が来ますが、運が良い、運が悪いと言っては喜んだり沈んだりしています。占いも「今日のあなたの運勢は?」と運が良いとか悪いとか言っていますね。私は自分が幸せだとは思いますが、幸運であるとは余り思わないですね。今の幸せは何も運気が良かったから私に訪れたものでは無いと思うのです。毎日坐禅をして仏法を学び、それを毎日の生活の中に私なりに活かす事をしていると幸せになっていったのです。その毎日の中に運が良いとか悪いとかは無いのですね。でも結果としては外資の社長をしていた頃よりずっと幸せになる事ができたのだから、大変ありがたい毎日だと思います。


私は幸せな人生を送るのに、幸運でなければいけないということは無いと思いますね。なるほどついているなとか、ついていないなと思うことはありますが、それが幸せな人生とか不幸せな人生にそれほど多く関与しているとは思いません。何故なら多くの場合、運が良いと言っているのは自分の思い通りになった時には運が良いと言っているだけで、自分の思い通りになることがすなわち幸せになるとは限らないのです。宝くじが当たった人が余り幸せにならない話は良く聞きますね。実際に余り幸せにはならないみたいです。


逆に運が悪いと思っていることが、結局は幸せな人生につながる事もあるのです。私の場合外資の社長を敵対買収騒ぎの中でクビになったことで、色々な苦労をし、禅と縁ができてこんな幸せな毎日を送る事が出来ています。この毎日の幸せは社長をしていた頃とは比べ物になりませんね。そうなると普通は社長をクビになると運が悪いとか不幸とか、自業自得とか言うのですが、私の場合は人生で一番良かった事が今のところ外資の社長をクビになったことです。だから社長をクビになった事は、その時は苦労して超大変だったけれども、結果的に幸運であったし、ありがたい事であったと言うことが出来るのです。


運勢とか運気とか方角とか、そんなことばかりに気を取られ一日を送っている事自体が良い人生だとは私は思いません。どうせそのようなものに気を取られ心を費やすその根本には、「人の事はともかく、どうか自分だけは上手く行きますように。思い通りになりますように。」という魂胆が潜んでいるのですね。これこそが自我です。人としては大変自然な気持ちでもありますが、それにより心を右往左往して生きていくのであれば、自我が強くてやはりなかなか幸せな人生とはならないのです。自分は何も変わらないけれども、占いなどを見ながら周りの運気が変る事で自分の状況が良くなることを期待するというのは大変虫の良い話です。


思い通りになると、その時は嬉しくて幸せな気分になるのですが、それが将来の不幸を招く事もあります。喜び浮かれている事が将来の不幸の種を蒔いている事になることもあるのです。だから運気とか運勢とかいうものは一旦横に置いておいて、自分の心を素直にして、自分ができる事を一生懸命して、人様は誰でも大切にしていると放っておいても幸せな毎日を過ごす事が出来るようになります。


運が良くても悪くても「今日も良い一日だったなあ」と思える心が出来てくるのですね。そうなってくると運気も糞もありません。毎日が良い日です。運など気にしていると決して幸せな日々は暮らせないような気がします。いつの日か過去を振り返ってみて「ああ、あの時は運が良かったな」程度で良いと思いますよ。運勢などを気にしている時間があるなら、今自分がしなければならない事に集中している方が結果的に余程良い運勢になると思います。運などは気にしないことですね。幸運は自分の心で創っていくものですから。


合掌


仏光

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