リターンを求めない | 仏光さんの心の相談室

リターンを求めない

仏教には布施行という修行があります。これは普通お坊さんにお米やお金を上げることです。元来お坊さんは生産活動をしていないので、それで修行だけをしながら食べていけるわけです。今のお坊さんは葬式や法事、墓地経営と仏教を商売にして食べています。


布施をする時は「布施をしてあげた」と思っているのは大きな間違いです。「お布施を受け取っていただいてありがとうございます。」というのが本来の布施なのです。だからお坊さんは堂々と布施を貰うのです。普通の社会では人の為に何かをする時、何かを「してあげる」という意識があります。その人の為にしてあげているわけです。だから殆どの場合相手からの感謝を意識的、また無意識に期待している場合が多いです。しかし、それは布施ではありません。


私が相談を受ける中で、「私はこれだけの事をしてあげているのに、相手からはこうだった」という不満が多いです。世間一般では「へー、それだけのことをしてあげているのにそういう仕打ちがあったの?」と一緒になって憤慨するわけです。ところがここに大きな間違いが有るわけですね。人に何かをする時はその人のためだけを思ってするのが本当で、何らリターンを期待してはいけないのです。何かリターンを期待して行う行為はビジネスです。


私は、毎週、無料で心と身体の健康教室をしていますが、皆さんから何らリターンは期待していません。だから、これは布施なのです。「これだけしてやったのに」と思うような行為は全てその本質が間違っていると思ったほうが良いでしょうね。その人のためを思ってする私の行為で、その人が喜んでくれればいいだけで、何らリターンは期待しません。その代わり、私は自分のビジネスできっちりリターンを計算しながら仕事をしています。


したがって、私は家でも職場でも「これだけしてやっている」という概念がありません。ただするのです。だから相手の反応がどうであれ、何であれ憤慨することもありません。感謝してもらっても良いし、してもらわなくてもいいのです。感謝してもらえればそりゃ嬉しいですよ。でも、そうでなくても憤慨する事はありませんね。普通、人から何かをしてもらったら感謝をしますが、そうでない人もおられます。でも、それはその人の人格の問題で、私の問題ではありません。自分の良心から人に何かをする時は、それは布施なのです。だから「私はしてあげた」ではなく、自分の気持ちを「頂いてくれてありがとう」なのですよ。


合掌


仏光

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