球磨郡は山江村戸屋(とや)とういう集落の秋季例大祭にお邪魔させて頂きました。
距離は20kmぐらいですが、いかんせん「山道」。
40-50分ぐらい車で走ってる途中『誰か住んでんのかな〜?』という道程。
4〜5戸ぐらいの集落があり、その地域で守ってる神社が・・・
「奉寄進」には、”慶応丁卯年”(1867年)とありました。
長押・鴨居は桜の一本物。
天梁は松のこれまた一本物。
引き戸は檜の一枚板。
どうみても、現代では造れない家屋です。
この一帯の家屋は、150年前のは残ってないらしいです。
なぜなら「西南戦争」の時に、ここら一帯全て火を付けて
燃やしてしまったからだそうです。
官軍か薩軍かは分かりません。
追い詰め、あぶり出そうとした官軍か?
敗退時に、時間稼ぎの為の薩軍か?
それが戦争というものなんでしょうね。
もちろん、寺社仏閣も例外なく火を付けられました。
その時、ここの主人が神社の御神体をこの箱にしまって
ご自宅に保管してあったそうです。
今は社殿に戻されていて、中身は古いお札なんか入ってました。
写真撮るの忘れてましたが、「大正四年」の写真(こちらのご先祖さま)や・・・・
昭和天皇の御眞影
大正〜昭和初期のものが出て来ました。
誰かから言われる訳もなく。
こうやって、「親父も爺さんも守って来たものだけん」
こういった”ごく当たり前”と受け継いだものが
この地域には沢山あり、そういった『人々』が歴史を作って行くもんなんですね。