こんばんは。


ようやく心の整理が出来てきたと言うか、

家族が一段落落ち着いてきたと言うか…


以前に、

父が2022年の

ゴールデンウィーク辺りに

悪性リンパ腫が見付かった

という記事を書いたんですが、




そこからちょうど半年、

2022年10月…


たったの半年で父が亡くなりました。



あまりに急過ぎて、

家族も職場の人も

ただただ驚きしかありませんでした。


信じられないという気持ちでした。


私より後にがんが発覚して、

落ち込んではいたものの、

「治療頑張って今元気な私がいるじゃん!

寛解率も高いから頑張ろうね!」

と励ましていたのに、


1ヶ月1ヶ月経つ毎に状態が変化して…


まさか亡くなるとは思わなかったのに

亡くなってしまいました。


最期は誤嚥性肺炎という、

がんによる直接的な死ではないものの、

転移したがんのせいで身体に麻痺が起こり

水も食事も嚥下し辛くなってしまい、

結果、誤嚥性肺炎を起こしてしまいました。


父の悪性リンパ腫は、

10万人に3人ほどしか居ない

「末梢性T細胞リンパ腫」

というタイプの悪性リンパ腫でした。


実際、病院の先生も

「10数年以上血液内科で働いていて、

会ったのはお父様で3人目です」

と言っていました。


予後は悪くても今すぐ死ぬ訳じゃない

と聞いていたのに…


だって、

腫瘍マーカーは検査する度に良くなって、

最後は正常値になってたんですよ。


抗がん剤がよく効いてますねって。


それに伴い父も体調が日に日に良くなり、

食事も取れる様になり。


仕事も少しだけ復帰したりしていたんです。





結局、

がん細胞は抗がん剤の

届きにくい場所へ逃げていました。



7月頃、

目のかすみを訴えた時に、

念の為目もがんの検査をして貰いました。


でも「ぶどう膜炎か、白内障」

という結果でした。


目にも悪性リンパ腫は

飛ぶ事があるそうですが、

それは「B細胞リンパ腫」の場合であって、

父は「末梢性T細胞リンパ腫」なので、

T細胞が目に飛ぶ症例は無いと先生が

おっしゃってました。



解剖して貰って後々分かった事は、

悪性リンパ腫と判明した頃から

かなりの初期段階で

がん細胞達が

脊髄に飛び、

大脳へ飛び、

そこから目にも飛んで行ったそうです。


7月頃、目が霞んでいた時点で

既に脳にも飛んでいたなんて…


その後は手足が痺れると訴えていました。

8月頃でした。


でも、東大病院でも

がんセンターでも

色々な精密検査をやって貰ったのに

その時は何も分かりませんでした。


異常なし、がんによる影響ではない、

抗がん剤の副作用だろう、

という見解でした。


けど実際は目に見えない位の

小さな小さながん細胞達が

父の身体を蝕んでいっていたんです。


9月に入って右半身が不随になってしまいました。


その後もう一度精密検査をしても

「原因不明」でした。



今の医学の力でも分からない事はあるし、

限界もあると思います。


それに、悪性リンパ腫の症状が出た時点で

既にがん細胞が全身を巡っていたんだと


そういう理解でないと、

半年で亡くなるなんて理解出来ません。



余命宣告も無かったです。


父の6ヶ月の闘病生活は、

あまりに早過ぎて、

ここに来るまで

気持ちの整理が出来ませんでした。


ようやく、こうやって文章に

出来る位になりました。


自分も同じがん罹患者だから、

父の死を間近で経験して

「私もこうなるのかな」

と重ねたりしました。


自分ががんの告知をされた時よりも

もっとずっと身近に自分の死を

感じる瞬間でした。








父が亡くなる数時間前は、
子供や友達と
海浜公園で釣りをしていました。
とても良い天気で、
10月末とは思えない暑さでした。


夕日も綺麗で…
まさかこの時間帯に
父の意識が朦朧としてるなんて
思いもしませんでした…


父に花なんて似合わないし、

買ってあげた事もないけど、

家に帰って来た父に

生まれて初めて花を買ってあげました。