こんにちは
例年にない大雪に、スキーライフは充実していますが、
雪かきと悪路の車の運転にと、日常生活に大きな影響が
これが北国の宿命と、受け入れるしかないですね。
さて、私の仕事は今週から忙しくなって、
やることはなんぼでもあるのに、
正直、モチベーションだだ下がりなので
「えぇ~い!こんな時こそ読書」と開き直り、
大好きな内田さんの最新刊を手に取りました。
『複雑化の教育論』 内田 樹
「子どもが成熟するとは、
市民社会を担える大人になるために、
複雑化すること。」
複雑化するとは、ややこやしい存在になるということです。
成熟というと、量的に増大するというイメージを持つかもしれませんが、
昨日とは違う自分になっていることだと著者は説明します。
考え方や物の見方が多角的になって、人格的に深みが増すことだと。
この「複雑化」ってなかなか客観的に測定できない。
使える英単語が増えたとか、身長が何センチ伸びたとか量的変化とは違って。
でも、今、学校で子どもの成長を測る物差しは、量的なもの。
むしろ、学校という組織の活動を円滑にすすめるためには、
できるだけ子どもたちの「複雑化」を排除する動きになっている。
だって、子どもが複雑化したら、
「僕はそうは思わない」とか「どうしてそのルールが有るの?」とか
集団として活動するときに、色々やっかいな問いが学校の中で
飛び交うことになりますからね。
そもそも、今学校の先生方は些事に追われ
(著者はそれらのことをブルシット・ジョブと呼んでいます)
子どもたちの素朴な問いにすら応答する余裕もありません。
だから、学校はできるだけ事を単純化し、
トップダウンの指揮命令系統を敷くことに注力することになります。
これは「効率化」という市場の行動原理。
それが組織の行動原理としてふさわしい場合もあるでしょうが、
教育分野において、それが正解でしょうか?
成熟する機会を与えられなかった子どもたちが
学校で量産され、そんな子どもたちが社会に出ていく。
そして大人たちは、
山程あるブルシット・ジョブ(意味のない仕事)に追われ、
じっくり考える余裕を与えられず、
めんどくさい問題提起をしようものなら、
「効率が悪い」とその組織から排除される。
考えることをやめて、沈黙する大人たちが作る社会。
恐ろしいですよね…。
かく言う私も、日々の些事に追われ、
ゆっくり自分が対峙する問題について
考える時間を持たないでいました。
内田先生の本は、毎回毎回刺激的です!
自分の立ち位置でやるべきこと、できることを
原点に戻って、じっくり考えてみよう。
少しモチベーションが回復しました