私が子供の頃、よく母が言っていた。

「あんたが生まれた日が人生の中で1番最悪だったよ。」




婚約者がいた父とデキ婚した母は、出産することで

自分の立場が逆天するのを望んでいた。


男の子さえ産めば、父も母も

すべての問題が解決すると思っていたのだろうか。




生まれたのが女の子だとわかった時、

母はとても落胆したのだと聞いた。


産院にいた父は女の子だとわかった瞬間

子供の顔を見ることも抱っこすることもなく、

そのまま繁華街に飲みに出かけたらしい。



不幸なことはそれだけではなかった。




私は生まれつきの病気を持っていた。



遺伝性のものではなく、突発的なもので

病気の原因も解明されていなかった。



農家待望の男の子ではなかったこと。

生まれた子が先天性の病気を持っていたこと。

元々悪かった母の立場は、このことでさらに悪くなっていった。



今なら先天性の疾患を持った子が生まれても

科学的に原因を解明出来ることだって多いだろうし、

オカルトチックなことを言い出す人などそれほどいないだろう。



しかし私が生まれ育った場所は閉鎖的な集落だった。

結婚した若い女性が、先天性の病気持ちの子を産んだ事例がなかった。

誰もが当たり前のように元気な子供を産んでいた。


人々は面白おかしく噂しまくった。

私が小学生の頃は

「あさひの病気は日本でもあまり例がない病気らしいよ。」

「今までこの病気で完治した人はいないんだって。」

「原因がわからないから何度手術しても治らないんだって。」

「なんか遺伝とかじゃなくて、たたりとからしいよ~。」

など、奇病扱いされていたほどだ。



実際は、日本でも多くの前例があったし

手術で完治する人もたくさんいた。

出来ないことは確かにあったけど、

日常生活で不便を感じたことなどは一度もなかった。

その程度の病気。



その程度の病気だけど、田舎では奇病扱い。



小さい頃、私は曾祖母に何度も土間の柱に縄で

くくりつけられ、バケツの水をぶっかけられた。

「穢れ」を払う儀式だと聞かされていた。


祖母は父以外の息子に頼んで

私を何度か怪しげな場所に連れて行っては

わけのわからん祈祷を聞かせていた。



もちろん、れっきとした病気であり

外科的な治療法が確立されているので

手術すればある程度は治る。

逆に言えば、手術しないと何も治らない。



この理屈がド田舎の人々にはわからなかったようで

「あそこで生まれた娘は、祈祷やお祓いで治らない奇病に

かかっている」と噂し合った。



マイナス要素しかなかった。

結婚した母は父の実家で暮らし始める。


実家には父・母の他に父の祖母、父の両親、父の弟三人という

大人が8人という大所帯だった。


父の祖母は隠居暮らしをしていて

家業であった農業は父の両親と父、そして母が担うことになった。

父の弟三人は長男ではないので家業が継げないため

それぞれ自動車工場・水産加工場・町工場で働いていた。


嫁いできた時点で既に妊婦だった母。

時代背景もあるし、嫁いできた場所が農業主体の集落だったこともあって

「妊娠は病気ではない」と当たり前のように思われていた。

妊婦だからといって農作業を免除されるわけではない。


うちの実家は主に米を中心の農家だったけど

恐ろしいほどの田んぼがあった。

田んぼ以外では商品として出荷はしないが

自宅用とご近所さん用に山の中腹を切り開いた広い畑もあった。


加えてそれまでは父親の母がやっていた家事全般を

母が必然的に担うことになった。



朝早く起きて、家族8人の朝食の準備。

同時に工場に行く父の弟たちのお弁当作り。

食事が終わると後片付けをして、8人分の洗濯に追われる。

洗濯が終わると今度は田んぼや畑作業。

お昼にはいったん戻ってきて、5人分の昼食作り。

昼からも休憩することなく、田んぼと畑作業。

夕方になると、お風呂の用意と夕食の用意。


これらすべてを妊婦である母人でこなすのは

大変だったろうと思う。

体もきつかった時もあったと思う。

父の両親や祖母は結婚した後も相変わらず

元婚約者と母を比較してはいびるようなこともやってただろう。


そんな中、せめて父だけでも母の味方になってくれていたら

もしかしたら、何かが変わっていただろうか?




母が妊娠して結婚しても、父はそれまでと何1つ変わらなかった。

「夫」になる自覚も、「父親」になる自覚も持ってなかった。


毎日家族のために働いても感謝されるどころか

嫌味を言われいびられていた母を父が助けることも、

慰めることも、守ってやることもなかっただろう。




そして、そのことがきっかけとなり

父と母はケンカが絶えなくなった。


父も母も次第に「子供さえ出来なければこんなことにならなかったのに。」

と短絡的に思うようになっていった。


「子供さえ出来なければ結婚しなかったのに。」と。



そしてそれが転じて

「子供のせいで自分たちはこんなに苦労している。」

「この子はいらない子だ。」となっていくのにそれほど時間はかからない。



私は産まれる前から誰にもその誕生を喜んではもらえなかった。




私が生まれ育った場所は、田舎の集落だった。

その集落はとても小さく、とても閉鎖的だった。

住民の多くは農家または兼業農家。

農家以外の職に就いている人はあまりいなくて

役場・農協・工場で働いている人がわずかにいる程度。


昔からの集落だったので、他所から越してくる人などいない。

代々ずっと同じ家に住み続け、昔っからの顔見知りばかりで

形成されているような、そんな集落。


スーパーやコンビニなどは近くにない。

自動販売機もない。


ちなみに私が子供の頃は、この集落には水洗トイレはなかった。

お風呂も多くの家が五右衛門風呂だった。




ドラマなどに出てくる田舎の人は、みな素朴で人がいい。

探せばそういう田舎もあるのかもしれない。

ただ私が育った田舎は、「素朴で人がいい」集落ではなく

戦前で時間が止まってしまったかのような

悪い意味での「田舎」の要素に溢れた場所だった。



男尊女卑が当たり前で、誰もそれに異を唱える人などいない集落。


妊婦さんが男の子を産めば、集落の中すべてに届く村内放送で

報国され、その後に集会所にみんなが集まってお祝いが始まる。

それと共に集会所の前の広場には、日本の国旗が挙げられる。

「男の子=跡取り」であり、集落をこれから継いでいく者なのだから

みんなで祝うのがしきたりなのだ。


逆に女の子が産まれると、村内放送はまったくされない。

集会所でのお祝いもない。


田舎は情報伝達がとても早い。

「どこそこの誰それさんが産気づいて入院したらしいよ。」と

話が伝わると、その数日中に村内放送と集会所の国旗にみんな注目する。


何日たっても放送もなく、国旗も上がらなければ女の子。

その場合、近所のおばさんが女の子の生まれた家に訪問し

「今回は本当に残念でしたね・・・。」という慰めと

「次回は男の子でありますように。」と励ましの言葉を告げに行く。


それほどまでに、「男=偉い、女=がっかり」が浸透している集落なのだ。