2016年9月24日(8年前)
☆☆☆☆ 忘れられない九度山ので撮影!!☆☆☆☆
皆さん、こんにちは、しばらく前に晴れ間も出ましたが、どういうSaturdayになるか?今日も元気に営業スタートします。さて、ここで、次回の「真田丸」では、今まで、信繁以上に注目を集めてきた真田昌幸が九度山で最期を迎える事になるので、BG連載「幸村を追走する」で2011年8月24日に、九度山町に撮影に行ったときのPicsと関連情報をアップしますのでご覧ください。
早い物で、次回(明日)で第38話を迎える「真田丸」、関ヶ原での豊臣側敗退後、何とか、徳川側に付いた真田信之の懇願が受け入れられ、切腹は免れ、高野山で蟄居する事に真田昌幸&信繁の様子が放映されます。そこで、最後まで、戦国武将の心意気をいだいていたまま、真田昌幸は生涯を閉じます。また、真田信繁は、父、昌幸の死後も、歳を取る自分に不満を抱きながら生活していたところに、再び、大阪城の豊臣側から、徳川家康との戦いの助っ人のOfferが届きます。そこから「大坂の陣」のストリーがスタートします。
*九度山町職員 六紋銭Young LadiesのBRUINの六紋銭T-シャツ姿を入り口で撮影したときの様子です。九度山町職員の多くの皆さんは、右側女性二人が着ている同町オリジナルの六紋銭T-シャツを着てお仕事をされていました。
*上記Picは、BG編集部(林さん、鈴木さん)と上田市と九度山町を繋いでくれた、”BG Commemorative Run 上田城 to 松代城”でも、大変お世話になった琴笙庵(手打ちそば店)オーナーの花岡順子さんとBRUINの良き相談役の堀さんとで、同町役場会議室でミーティングをしている時の様子です。
*九度山町役場まで、岡本章町長と職員の皆さんと記念撮影した時のPicです。ちなみに、上田市と九度山町は、真田一族の縁で、姉妹都市関係になっています。やはり小さい町なので、皆さんが皆お友達感覚でとてもFriendlyでした。
このBG編集部林さんの後ろの建物が善名称院(真田庵)の建物になります。ここで、この真田庵を管理されている女性と撮影交渉をすることになりました。
*上記Picは、花岡さんと私で、以前、某TV局取材でいやな思いをした経験があったので、最初は撮影に協力したくないと言われた同庵主、渡部恵光さんを説得している様子です。
*上記Picは、何とか、撮影交渉が成立し、紹介してくれた九度山町職員の皆さんと撮影の打ち合わせをしている様子です。このBG企画、九度山撮影の全ての企画交渉した鈴木さんが、確認事項を説明している様子です。
ようやく、お互い打ち解けて、撮影準備に入る事になり、庵主さんと九度山町職員の皆さんと一息ついたときの様子です。
*常に笑顔で同行してくれた役場職員の女性と真田庵正門前で!!
真田庵(さなだあん)
善名称院、真田庵とも呼ばれ、真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺。本尊に延命子安地蔵菩薩を祀り、かつてはお地蔵さんとして賑わいをみせたこともあったそうです。春にはボタンが咲き乱れ、真田まつりでは武者行列のゴール地点として、賑わいをみせています。
高野山に蟄居(ちっきょ)を命じられ、信州より紀州へとやってきました。高野山での生活は寒くたいへんだったため、麓の九度山町で生活したのではないかと言われています。真田昌幸は、この九度山町にて亡くなり、息子である幸村は、父の供養のために、森の中に宝篋印塔を建てました。その後、大安上人がこの森に来たとき、本尊がここに善名称院(真田庵)を建てよと言われ、大安は松の木だけを残してお寺を建てました。
*BG編集部鈴木さんが、渡部さんとのインタビューを録音している様子!
*すっかりリラックスされた庵守さんのお話を聞いている様子。
*上記食事風景は、真田庵直ぐ横に併設された信州そばを提供している店内で、撮影終了後、九度山町職員の皆さんと一緒にお蕎麦を食べたときの様子です。ちなみに、ここのお蕎麦の調理法は、上田のお蕎麦関係者が出向いて教えたそうです。
高野山
高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている[1]。
2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された[2]。
真田家家紋の使用を許された由緒ある宿坊
写真:中井 靖
地図を見る上杉謙信は清浄心院、武田信玄が成慶院など戦国武将たちは領国の菩提寺と縁のある高野山の寺院を「檀縁(だんえん)」として宿坊契約を交わしたという記録が現在も残っている中で、信州真田家は室町時代より「蓮華定院(れんげじょういん)」を宿坊と定め、高野山に詣でる滞在所として利用していましたが、西暦1600年に起きた関ヶ原の合戦で西軍に属していた真田家は、徳川家康率いる東軍に敗北。昌幸・幸村父子が身を寄せた場所がここ蓮華定院だったのです。
写真は山門。
同家の家紋である六文銭の提灯が下がり、真田家との縁の深さを見る事ができます。その山門をくぐると正面には玄関、左側には本堂が見えてきます。本堂前の枯山水の庭園はご住職自らが作庭。庭の中心にあるのは本堂のご本尊である阿弥陀如来の梵字「クリーク」。梵字は池中に咲く白蓮華とその上で禅定(蓮華定)に入る阿弥陀仏を象徴し表現しています。周りの幾何学模様との絶妙なバランスは必見です!
真田父子の愛でた庭園は宿坊一の名園だった
写真:中井 靖
地図を見る玄関を通って左手の廊下を進むと本堂に行くことができますが、本堂の手前に広がるのが写真の庭園です。この庭園は蓮華定院自慢のメイン庭園で日本情緒あふれるたたずまいが外国人宿泊者に超人気!しかもこの庭の周囲にはお部屋に繋がる廊下が連なっているので、あらゆる角度から庭を楽しむことができるのです。
しかしお庭はここだけではありません。高野槇のみを配置した庭や枯山水など、庭見学だけでもまだまだ見どころはあり、真田幸村が見た世界と同じ風景を楽しんでみましょう!
ところで真田家六文銭の家紋についてですが、庭に通じる途中の廊下で見る事ができるだけでなく、宿坊で使う調度品や什器(じゅうき)にもこの家紋が入っています。 そして最も真田父子を感じることができるお部屋がこのメイン庭園に面している写真右側のお部屋になります。
必見!真田父子が滞在した「上段の間」
写真:中井 靖
地図を見る真田昌幸・幸村父子が滞在した部屋が写真の『上段の間』。
蓮華定院ではこの部屋と共に彼らの遺品を保存、一般公開をしていますので、宿泊の際は必見です。
ただし残念なことに江戸期に蓮華定院は焼失し、現在残っている部屋はその後に再建されたもので、実際に父子が滞在した部屋ではありませんが、上段の間は焼失前と同じ位置に復元、基本的な造りは当時のままを再現しているのだとか。
昌幸・幸村父子がこの広間にいたことが伝わっていること、同じ部屋が再建されて現在に至っていること自体が希少なものと言えるでしょう。お寺の方から「あなたが今、座っている位置こそ幸村公がお座りだった」なんて聞いてしまえば、心踊らずにはいられませんね!
ちなみに上段の間は二間ほどの広さで、お殿様(昌幸)が使用した場所であり、幸村を始めとするお供の武士たちは昌幸よりも下座(大広間)で逗留していたことを付しておきます。
*こちらの方が、九度山町町長の岡本章さんです。岡本町長は、上田で行われる真田関連お祭りには、武将姿でご登場してくれるとてもFriendlyな町長さんです。BRUINの六紋銭T-シャツを記念に差し上げたときのPicです。
*九度山町職員のアイドル存在の狭間千晶さんがYellow Tiger Z2に乗って記念撮影したときの様子。
*こちらも、いつも笑顔で同行してくれた商工観光課の西平美幸さんです。
*一番左の方が、当時彼氏募集中だった真田祭実行委員会 事務局の中谷晴香さんです。
まずは、九度山町のご紹介!!
九度山町
くどやまちょう 九度山町 |
|
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 和歌山県 |
郡 | 伊都郡 |
団体コード | 30343-7 |
面積 | 44.15 km² |
総人口 | 4,327人 (推計人口、2016年6月1日) |
人口密度 | 98人/km² |
隣接自治体 | 橋本市、 伊都郡高野町、かつらぎ町 |
町の木 | 柿 |
町の花 | ボタン |
九度山町役場 | |
町長 | 岡本章 |
所在地 | 〒648-0198 和歌山県伊都郡九度山町九度山1190番地 北緯34度17分13.8秒東経135度33分43.8秒座標: 北緯34度17分13.8秒 東経135度33分43.8秒 |
外部リンク | 九度山町 |
ウィキプロジェクト |
九度山町(くどやまちょう)は、和歌山県北部に位置する町。真田信繁(幸村)所縁の地として知られる。
地名の由来
域内には高野山の開祖である弘法大師空海の母が暮らしていたという慈尊院があり、空海は月に9度母に会いに来ていたことから九度山の地名が付いたと伝わる[1]。
地理
紀の川の南岸にあり、そこに流れ込む不動谷川の川筋に沿ってできた谷間と、さらにそこへ東から流れ込む丹生川による谷間からなる。高野山への通り道である。
それでは、明日の「真田丸」第38話「昌幸」をお見逃しなく!!
From BRUIN Ueda-City, Nagano-Pref, Japan
Since 1999
Sep 24. 2016