ブロンズ

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無下、吉田修一の「7月24日通り」を読んだ。「怒り」を読んでいる時に予想もしていなかった感情に襲われたことが不思議で、そうさせた要素を掘り下げてみたかった。恐らくは誰もが何の根拠も理由も無しに自信を持つことはできない。それは内心に息を潜める不安を指しているわけではなく、自信を持っている物事に直接または全く関係のないところで何かが自信を持たせてくれていると感じる。気をつけて行ってらっしゃいな。忘れ物はない?残りのページが少なくなるにつれて中断したくなくなったけれど無意識のうちに登場人物と友達をぴったり重ねていて、なんとなくそれが嫌だった。少し後で思う、何かあれば思い出す人と共に生きる人は多分別だ。燃える火はいつか消えるし燃えなくても残るものだってある。静かなままずっと続くものもきっとある。遠ざかってゆくものを目で追う。身体は止まったまま。足が埋まる。危なくなったらいてほしい。明日から緑と湖のある場所に行く。いろんなものから少しの間解放されてまた新しく過ごし始めるのだ。不要な気力は捨てて活力を得るのだ。そう、この間ふと思った。危なくなった時近くに俺がいたらどうなったかなって思った。でも多分何もできなかった。大好きな人がいて守りたいと思ったとして、頑張っても大抵心の支えにしかなれない。そんなもの、と思う反面それが大事なことなのだとも思う。そしてそれがとても難しいことなのだとも思う。

バラ

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無下、この考えは自己中心的でよくない。そう言って自制するのも何度目だろうか。大好きな音楽、演奏する人たち、かっこいいから僕もやりたがった。憧れだった。バンドを始めてからは行きたい場所が移ろい続け、そして次第に定まっていった。けれどきっと同じバンドのメンバーでさえ同じ場所は見ていない。擦り合わせても、僅かに生じるズレはあるのだ。それはともかくとして各々が各々の目的をもって動いていることは言うまでもなく、それに異議を申し立てることは共に歩くメンバーにさえ許されないことなのかもしれない。僕にも目的はある。誰に馬鹿にされても、応援していた私は何だったの?と嘆かれても愛想をつかされても目的はあるのだ。それを果たすための道程なんかの話をしようものなら一番上に来るのは何度も聞いた理想と情熱の類いの話で、捨てちゃいないし忘れてもいないけどうるさい。僕は守りたかった。自分のことをそして自分を守れる人だけが守れる人を守りたかった。いざってときに。夢を与えるとか、憧れを抱かせるとか、そういうところで言えば僕はミュージシャンとしては失格だ。ミュージシャンやアーティストなんて名乗る資格はない。でも音楽を始めるとき、誰もなんの資格も取得してないのは知ってる。僕はやりたいからやった。お金を払ってやった。好きだから続けた。それだけなのに楽しめなくなったり興奮が味わえなくなったら終わりなのは何故だろう。自分が自分を許せないだけなのに。話が逸れたな。とにかくさ、不満があるなら自分でやれば?とか言ってると絶対売れないから気を付けてください。コマンドー!!見てくれるの?ありがとうございます。
シューーーーーーーーー
バーーーーーーーーーーーーーー

無下、僕は立派な大人とは到底言えないし、どちらかといえばロクでもないけどそれを人のせいにしたことは一度もない。人見知りも要領の悪さも不器用さも耳の悪ささえも全部自分の責任だ。育った環境なんて関係ない。人のせいにして仕方ないこととして片付けるなんてかっこ悪い。
キッドナップツアー という話で自分の娘を誘拐した父がしどろもどろになりながら「将来ダメな大人になったとしても誰のせいでもない」と諭す場面があって、それが実の父親の言うことかと批判されるべきその言葉に僕は大きく頷いていた。

自分の至らぬ部分を知っているから不安になる。完全に消し去る事が出来なかったとしても不安を和らげること、自分を少し安心させてやるための努力はできる。努力をするかしないかで大きく変わるのは結果ではなくて、結果が表れるよりもっと前、自分がどれだけ自信を持てるか、失敗しても納得できるかというところなのではないだろうか。自信が生れればきっと結果もついてくる。そう信じている。僕はまだまだ胸を張れない。そのくせ、つまらないことに怒ったり悲しんだりしているんだ。もったいないなあ。