キリシマサトシ容疑者が自首したというニュースがながれました。
王女も、
この知ってる。
と、声をあげておりました。
末期の癌で、入院していたとのこと。
偽名で。(-_-)
なのに、
「死ぬときくらいは、本名で死にたい」と、
50年も隠し通せたにも関わらず、死を目前にして下した決断。
このニュースで、私が思い出しましたのは、
大悟の法 という書籍にかかれております、アングリマーラの回心です。
自分の師にそそのかさされ、殺人鬼となった愚かなアングリマーラが、
仏陀に折伏され、出家をするのですが、
街人には許されず、托鉢にでると、布施をいただくどころか、
石をぶつけられ、血だらけになって戻る日々。
しかし、それは、過去の罪を滅ぼすための尊い修行なのだと仏陀に教えられ、
耐え続け、功徳を積んだという実話です。
経典には、
過去に大勢の人を殺したアングリマーラであっても、仏教の教えに帰依し、
心を入れ替えて修行に励んだならば、生きながらにして過去の罪は消える。
と書かれております。
この世の常識とは真逆でしょうか。(ё_ё)
信じ切れるかどうか。
というところです。
仏法真理に照らしてみますと、
人間はほとんどの人が、何かしら罪を犯しているのではないかと思います。
なぜなら、刑務所に入ったり、新聞にのるような悪さはしていないと
言われる方であっても、
心の中で人を憎んだり、裏切ったり、はたまた殺人を犯したり(妄想)するだけで、
罪として裁かれると教えて頂いているからです。
なかなか、怖い教えです。
で、キリシマ容疑者に話しをもどしますが、
本心がどうであるのかはわかりませんが・・・
あくまでも、私が思うことではありますが・・・
死ぬ間際に、罪を犯した自分として人生をおわりたいと思ったのならば、
少しでも、“回心“に近づいたのではないかなと思うのです。
殺人を犯し、他人名義で生き延びるなど、どれだけの罪を犯したことになるのか
想像すらできませんが、黙ってあの世に旅立てば、誰にも責められることは
ありませんでした。
でも、魂は永遠。
この世の続きは、あの世で完結するのです。
閻魔様が金棒を持って目の前にたちはだかり、
おまえの名前はキリシマサトシであろう
などといわれましたら、震え上がりそうです。(-_-)
以前受講した研修の中で、こんなことを言われたことがあります。
皆さんは今、反省をして、家にもどってこの世の修行を続けられますが
もし、今日限り命がなくなったとしたら、この世に帰る場所はありませんよ。
あるのは、あの世のお白洲。
そこで、あなた方の人生が判定されます。
もう、戻れません。
だから、
生きている間に、少しでも反省を終え、与える側の人生を生きていきましょう。
そんなこんなを思い出し、考えてみますと、
本名で死にたいという気持ちは、キリシマ容疑者の良心のようにも
思われました。
もちろん、この世で犯した罪は、重いですし、
被害に遭われた方の近親者の方、ご縁のある方にとって、
こんなことを申しますと、とても不謹慎なかもしれません。
キリシマ容疑者とて、
どうせ、癌で死ぬのだから。
と思っただけなのかもしれません。
それでも、最期は、
罪を犯した者として死んでいくことを選んだということは、
彼にも、仏性があるということではないのかな、と思わずにはおれませんでした。
死後の世界を信じておられない方には、受け入れられないかもしれません。
でも、
この世でどのような結末を迎えるのか・・・ということ以上に、
死後、天国に還れるには、どう生きるべきなのかということが、
とても大事なことだと思います。(自戒の念もこめて)
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「誰もが必ず地上を去る」ということは確実であり、この事実
だけは逃れようがないのです。永遠の法講義より