"150枚"が持っていたゲーム性とは何だったのか | 音符ブログ♪

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♪×♪ですおはこんばんは。
デッキ上限開放について、感想めいたものを少し。

ブラウザ三国志に存在していた、2つの限界。
一つはデッキコストの上限が20ということ。
そしてもう一つは、カードの所持上限が150枚ということ。

前者の持つゲーム性はよくお分かりだと思います。
たとえば戦争時のデッキや遠征武将であったりを考えるときに、その壁にぶち当たることも多くありますしね。

後者の持つゲーム性とは何か。
例えば軍極を例にあげてみましょう。
今の群雄の極撃の最大出力を出すために必要なカードは全部で14枚です。
つまり、群極はその着弾時に20コス全てを食うだけではなく、150枚のカード枠中の14枚を使うことで、その強さを発揮できる、と考えることができます。
これに加えて蜀軍の防衛を持つ、ということまで考えると、150枚中の27枚、つまり1/5が、この2枚のカードのために割かれてしまうのです。

もちろん、トレード用の枠やUC劉備や飛将武将、神医武将なども必要で、勝鬨や呉治世・食糧スキル両方の内政官、張春華のような速度UP、董白の資源獲得量UP、ドリラー、黄蓋、皇叔劉備など、様々なカードも持とうと考えると、その総数はゆうに150枚を超えそうです。

だからこそ、この150枚しか持てないことがそれなりにゲーム性を持っていたと思うんですよね。
もちろん、トレードへの出品枠10+入札枠10を削ることもできるでしょうが、同時に買い込めるカードが減るためデッキの強化が遅れるというリスクも伴う、というゲーム性もありますしね。

それは、軍極を持つ、ということはそれ自体、戦略的に意味を持つ一方で、ファイル的に問題を抱えることになる、とでも例えられるでしょうか。

130枚が十分に育った(使えるカードとなった)環境において、デッキの個性という弱者の強者に対する"突破力"を多少は持たせておく、というのも、逆転への最後の希望を残せたと思うんですけどね…

正直このことを言ってもあまり本気に受け止めてくれる人がいないと思ったのと、上手に説明する方法が見当たらなかったのとで、"150枚"のゲーム性を語らないまま上限が開放されてしまったのは、残念、というか不徳のいたすところです。

いつの日か、300枚がある種意味を帯びてくる時代が来るのかもしれませんが、その時にはもうブラ三は…という感じはしますし。

まあ、存在していたゲーム性をぶっ壊して新しいゲーム性を作ってこそのネトゲだとは思ってるんで、批判してるだけっていうわけにもいかないのはわかっていますけどね。



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