先日にもブログでお話しましたが、
今後、小説を少しずつ不定期に掲載していきます。
この物語りは、30歳の時に書いた作品です。

2000年に、ベネズエラのジャングルに住むヤノマミ族という先住民族と、ドキュメンタリー番組のロケで出会った時の実体験を書き残しておきたかったというのが、書いた理由です。
色々と訳があって、この20年間、
日の目を見ることがありませんでしたが、
なぜかこのタイミングで披露する運びとなりました。
本来は、この物語りと、いくつかの詩や散文、そこに色々な写真を散りばめて一冊の本にしたかったのですが、
もう今となっては、
最早そんなことはどうでもいいです。

ストーリー上、ジャングルに入るのは、まだまだ先になりますが、そこに登場する人物は実名で実在であり、
出来事などは実際に起こったり、
僕自身が感じたり経験したことが書かれています。
この作品は、決して難しい話ではありません。
単純にヤノマミ族の友人たちとの数日間が、僕にとって、僕の人生にあまりにも大きな衝撃を与えたので、書き記したかっただけなのです。
タイトルは……ありません。
付けないまま、20年が経ってしまいました。
もしかしたら、物語りが終わる時に
タイトルが決まるかもしれませんが…。

まあ、とにかく少しずつ小出しにするので時間がかかるかもしれませんが、
最後まで読んでいただけたら幸いです。

それでは、僕の旅にお付き合いください🙇‍♂️


【プロローグ】

僕が大学の人文学部文化人類学科に籍を置いて、はや三年が経過しようとしている。
文化人類学とは、世界のさまざまな民族が持つ文化や社会について比較研究するという学問で、その特色はフィールドワーク(実地調査)によって、地球上に現存する諸民族の文化・社会をできるだけ具体的且つ実証的にとらえて研究していくところにある。
その魅力的な特色に誘われて受験し入部できたものの、残念ながら僕は未だにそのフィールドワークを体験してはいない。
それはそうと、なぜ僕がこの学問に興味を持ったのかという、その最も核となるモチベーションは、僕が高校時代に奨学制度によって、アメリカの南西部ニューメキシコ州にあるロスアラモスの農場にホームステイした時の話に遡る。
やがて僕は、ここでの神秘的な体験を基に、
人文学部受験の際の自由論文テストで、
ネイティブアメリカンの概念の中心に存在するグレイトスピリッツ(創造主そのものを指す言葉で、大地や水、植物、風、川など森羅万象のすべてに宿る精霊を意味する)をテーマに書くことになるのだ。


【1】
名の知れたサンタフェの町から北西へ70キロほどの所に位置するこの辺りには、「プエブロ」と呼ばれるネイティブアメリカンの諸部族がそれぞれ独自の社会を形成しながら暮らしている。
僕をステイさせてくれた家族も、サンタクララ・プエブロから移住してきたネイティブアメリカンのファミリーだった。
ホームステイも2週間を過ぎたある日、この家の娘で8歳になるジェシーという名の大きな瞳が特徴的な女の子が、来月に催される『セント・アンソニー祭』に向けて、家の天井に色とりどりの折り紙で飾りつけをしていた。その際にバランスを崩し、乗っていた椅子から足を踏み外して床に落ち、足首を捻挫してしまったのだ。
彼女は気丈にも泣きもせずじっと痛みに耐えている様子だったが、陽が暮れはじめる頃になると、みるみるうちに足首は腫れあがってきた。飾り付けを楽しんでいた時とは打って変わって不安な表情を浮かべいると、玄関の戸をノックする音がしたので主のポティートが戸口に向かった。しばらくすると、長髪でがっしりした体格の老人を連れて部屋に戻ってきたのだ。
老人は、おもむろにジェシーに近づきながら二言三言、物静かな口調で呟いたのだが、
それが英語ではなくテワ語だったために僕には理解することが出来なかった。
老人はゆっくり床に腰を下ろすと、ジェシーの痛めた方の足首を分厚い掌で包み込んだ。そして先ほどの呟きとは違う、今度ははっきりとした呪文のようなものを唱え始めた。僕が小さな声で「彼は誰?」と聞くと「シャーマンだよ」とポティートは言う。
シャーマンとは、精霊や悪霊などと直接的に交わる能力を持って治療、予言、悪魔払い、口寄せをなどをする者のことである。シャーマンの存在を以前から多少は聞いて知ってはいたものの、実際に目の前に現れるとは思いもよらなかったので、僕はとても興奮していた。
どれくらい時間が経ったのだろうか?
その場の空気は張り詰めてはいなかったが、心地よい緊張感が漂っていた。治療といっても、ただ足首を手で包み込んでいるだけだが、紛れもなくジェシーの表情は、時間の経過と共に彼女本来の穏やかさを取り戻してゆく。
見ると足首の腫れも、確実に引いているではないか。幾筋もの深いしわが刻み込まれた老人の顔は、終始表情ひとつ変わらず、威厳と自信を兼ね備えた男だけが持つ独特なエネルギーのベクトルを、そこに居合わせた僕らに十二分に感じさせた。
語りかけるように繰り返されていた呪文が急に止むと「シュッ、シュッ」と何回か小刻みに息を吐き出し、老人は膝の上に乗せていたジェシーの足を静かに床に置いた。
最後に老人はひとつ大きな深呼吸をして、腰に結んである革袋の中から何やら鳥の羽根を取り出し、それでジェシーの足首を優しく撫でながら、部屋に入ってきた時の呟きに似た言葉を目を閉じたまま、ぼそぼそと口にした。
しばらくすると目を開けて、ポティートの顔に視線を移した。(もう大丈夫だ)とでも言うように落ち着き払ってひとつ頷くと、ジェシーの頭にそっと触れる。
そして、むっくりと立ち上がり、トウモロコシが入った麻袋を手にしたポティートからそれを受け取ると握手を交わし、静かに戸口から帰って行ったのである。
一体、何が起きたのだろうか…
状況を完璧に把握出来ないまま、僕はしばらくの間、茫然としていたが、老人と戸口で交わした会話について改めてポティートに聞いてみた。
老人は「たまたま近くを通りがかったら、聞こえたんじゃよ、痛みの声がな。娘っ子が泣いているであろう」と言ったという。
この集落で有名なシャーマンなのだそうだ。
ポティートは、ジェシーと僕の瞳を覗き込みながら「偉大なるグレートスピリッツに感謝を」と言い残し、納屋の方へ消えていった。
僕はこの夜、寝床で、ポティートが言ったそのグレートスピリッツについて、いつまでも想いを巡らせてしまっていた。

この何とも不思議な出来事に遭遇したことによって、僕はすっかりマイノリティーの世界が持つ魔力みたいなものに魅せられ、強い好奇心を抱いてしまったのだ。
こうした事実、実体験が文化人類学の道を志そうと決めた、僕の揺るぎない確固たるモチベーションであると言える。