今プレスツアーのテーマは『文学』、英国を代表する女性作家たち縁の地を巡ります。
ここに来たのは、19世紀の小説家シャーロット、エミリー、アンというブロンテ三姉妹の軌跡を辿るため。
「ジェーン・エア」「嵐が丘」「ワイルドフェル・ホールの住人」などの作品を世に残した彼女たちは、今でもヴィクトリア時代を代表する作家と言われています。
父親のパトリック・ブロンテは聖職者だったので、妻マリアと6人の子供たちは1820年にこの牧師館に移り住み・・・以後ブロンテ一家は生涯の殆どをここで過ごし、今では「ブロンテ牧師館ミュージアム」となっているんですよ。
牧師館に隣接して、教会と墓地。ガイドさんの説明によると、当時その墓地はひどく不衛生な状態だったらしく、彼女たちが早逝した一因にもなっていた筈との事でした。
まず母親マリアが胃癌と結核を併発して、38歳で死去。そして6人の子供のうち、息子ブランウェルと末娘アン以外の4人は、ランカシャーの寄宿学校へ入学しました。
でも長女と次女はそこで結核に罹り、それぞれ11歳と10歳で亡くなってしまい・・・シャーロットとエミリーは家に戻され、家庭教師や私塾で学んでいったそうです。
やがてシャーロット、エミリー、アンの三姉妹とブランウェルはここで空想の世界を語り合いながら、創作への芽を育てていったんですね。
長じて三姉妹は次々に、この館で書いた小説を発表していきます。
ミュージアム内部は撮影禁止だったので、パンフレットの写真で中身をちょっと見てみましょう。
唯一の息子ブランウェルも絵画や文学に傾倒していたけれど、姉妹のように世に認められる作品を残す事はできず。更にアルコールと麻薬の依存症となって、31歳で死んじゃうんです。
翌年にはエミリーが結核を患って30歳で、末っ子アンも同じく結核によって29歳で逝去。
6人のうち最後まで残ったシャーロットは副牧師と結婚して子供を宿しながら、重度の妊娠中毒症にかかりお腹の子と共に亡くなったのが38歳の時・・・と、凄まじいほどの不運なんですよ!
でも先日書いた通り、当時ハワースでは平均寿命25歳だったそうですから。長女と次女をのぞけば全員ここの平均寿命よりは長生きした、とも言えるんですけどね。
今年はシャーロット生誕200周年なので、「偉大で小さなシャーロット」という特別展も開催されています。身長たったの4フィート10インチ(約147センチ)と小柄だった彼女のドレスや手袋は、子供サイズと思えるほど小さくてビックリ。
エミリーやアンの姉として彼女たちを率い、作家としての大きな夢を追い求めたシャーロット。幸福な家庭もすぐ目の前にしながら、ついえた生涯の無念さを思うと言葉を失います。
牧師館や教会のすぐ近くには、父パトリックが設立した学校の跡もありましたよ。妻にも6人の子供にも先立たれた彼だけは、84歳の長寿を全うしたそうです。
長生きする事だけが幸福とは限らないし、たとえ短くても素晴らしいものを後世に残したんだから充実した人生だった!という見解もあるでしょうけど・・・。
私にはどう考えても、不幸で悲運な一家だったとしか思えなくて。庭に咲く可憐な花々に囲まれていても、しんしんと寂しさの漂う牧師館なのでした。
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