宮沢賢治 作 『雁の童子』 | うさぎちゃんの文活(文化活動)

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埼玉県新座市のエクレールマンション内で月一回第二もしくは第3週土曜日の10時から、サロン・ド・エクレールを開催しています。徹子の部屋みたいな感じで皆様をお迎えいたします。

先ず出てくる地名が、
流沙(るさ)とは、タクラマカン砂漠のことらしい。





その流砂の南、やなぎ(胡楊・・コトカケヤナギ)で囲まれた小さな泉のほとりで、
私はある老人にあい、その老人から小さな祠に祀られている、「雁の童子」についてきいたのです。




やなぎと言うのですから、日本の柳を頭に浮かべてみたんですが、どうやら違うみたいなんですよね。
だって、このお話は、沙車(ヤルカンド)のお話なのですからね、やなぎ違いですよ。
ヤルカンドとは、新疆ウイグル自治区カシュガルとな。

ここいらにはえているのはコトカケヤナギと言って、なんと、春には白い花も咲き、光って飛び回るそうですよ。




それに、なんと紅葉もするんですよ。それがまた、美しいのです。



でも、賢治さんのこの作品には、冬と春が舞台みたいですから、紅葉はでてきません。仕方ないですよね、雁の話しですからね。




その沙車に、須利耶圭(すりやけい)と言う人がいまして、彼が、わけあって、雁の童子を育てるのですよ。






6羽の雁たちが、須利耶さんの前に落ちてきて、(須利耶さんの従弟に鉄砲でうたれたのです)ほんとは7羽いたのです。

「実は私どもは天の一族であり、罪があってただいま雁の形を受けておりました。ただいま報いをはたしました。私どもは天に帰ります。ただ、わたし一人の孫はまだ帰れません。」と言って、幼児を須利耶さんに預けます。なぜなら、その子だけは鉄砲で射たれていなかったのですよ。なぜ射たれなかったのかは、理由があるわけです。

そこから、話は雁の童子と須利耶さんとの不思議な体験記になります。

須利耶とは、サンスクリット語で太陽という意味みたいですが、太陽系?を詰って、須利耶圭なのかしらね~。まさかね。

賢治さんの話しには必ずと言っていいほど、太陽さんの描写が、どの話しにもでてくるような気がいたします。

仏教信者と言うよりも、太陽神の大切さを唱えているのかしらんと、思ってしまうのですよ。所謂、アマテラスではなく、もっともっと自然の大きな力なる太陽、宇宙を中心にしているような・・・・。そして、かならず、太陽系の星が出てきますよね。

最後には、須利耶さんの前に雁の童子が現れた理由が述べられています。



          『雁の童子』 鈴木靖将   絵

なんでしょうかね。
シルクロード西域のなんだか懐かしい昔の物語りをきいているような気にさせられてしまうんです。

賢治さんはシルクロードには行ったことがないのですが、とてもリアルティに描いています。

だからこそ、それを鈴木靖将さんは絵本にするのですから、賢治さんの世界を濁さないで、透き通った絵で、シルクロードの世界に読み人を魔法にかけ連れて行く。



流石に、日本画伯でいらっしゃる。
ページをめくる度に、
ふぅ~ と、ため息がでてきます。



人の一生には、悲しく、やりきれない思い出があるものです。

そんなことを静かに、時の流れを川の流れのように語ってくれたお話でした。