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2006-07-18 02:57:01

ブラジルへの逃亡者の行方

テーマ:ブラジル人

最近、日本で犯罪を犯した日系ブラジル人が、ブラジルへ逃亡して裁きを受けることもなく、のうのうと生活していることが問題になっている。


ブログに書こうかどうか迷ったけれど、ブラジルでの現実を温室暮らしの日本の方にも知って頂きたく、敢えて書くことにした。


人間の命は、人種にかかわりなく、貧乏であろうと金持ちであろうと値段はつけられない。。。


建前はそうだ。


だが、しかし、実際はどうだろう?????貧乏人の子供を誘拐した場合と大金持ちの子供を誘拐した時に犯人が要求する額は確実に違う。


インドのド田舎では、海外旅行者が多く車で通る道沿いに自分の子供を首まで土の中に埋めて見世物にしてお金をもらう人がいるらしい。。。昔、ロシアで自分の子供の臓器を売って捕まった母親がいる。世界中には娘に売春をさせることで生活を成り立たせている貧乏人がたくさんいる。


そして、上記のこと全てがブラジルには当てはまる。


中流家庭以上の現代生活をしている人は除いても、下層階級が人口の半分以上を占める貧乏人の国で、日本の常識を押し付けるのは、かな~~~~~~~~り難しい。。。わたしが、ブラジルで常識の違いに頭がおかしくなりそうになる時に次のように考えて平常心を取り戻す。


「現在のブラジルの状態は日本の戦後の混乱期」に等しく、先進国で島国と長い鎖国で培った日本の常識は到底通用しない。。。


下層階級者で警察のご厄介になったことがない人なんて珍しいのだ。わたしはよく、「盗みはブラジル国家の持つ病気だ」というけれど、その病気を治すための治療費がないから常に蔓延している。


話を戻して、ブラジルに逃亡した日本での犯罪者だが、彼らは、日本で犯した罪をブラジルで犯した罪と同じ程度の罪悪感で受け止めていると思われる。。。


ひき逃げ、強盗、殺人。。。。ブラジルでは結構ありふれていたりする。。。


「運が悪かった」と諦めるブラジル人が多い。。。


まぁ、海外でそういう悪いことをしてしまったのだから、もちろんその国の人たちが納得いくような裁きをうけて欲しいと思う気持ちはよく分かる。けれど、ブラジルがブラジル国内にいる海外での犯罪者を国外に引き渡すことは。。。。まず、ありえない。。。


しかも、日本。。。致命的なのは、日本には「死刑」があるからだ。


ブラジルは、世界一の信者数を持つカトリックの国である。死刑なんてありえない。つまり「懺悔」して、神にお許しを請えば、それで許されるのである。。。


引渡しが駄目ならと、今、日本がやっきになって「ブラジル国内での裁き」を要求している。。。


これも「無駄」な努力に過ぎない。


先に書いたように、ブラジルでは、日本ほど「人間の価値」が高くないのだ。


例えば、百歩譲って、ブラジルが日本での犯罪者をブラジルの裁判所で裁くことにしたとしよう。


証拠がない。。。。


日本の警察が「これが証拠です」と渡した証拠品をすんなりと信じて裁判に利用するほど、ブラジル人は真っ直ぐではないのである。証拠品を自分たちで実証しないと「証拠」として認めない。。。


まぁ、百万歩譲って仮に罪が認められたとしよう。


刑務所は常に満杯で暴動が起きている。少しでも人数を減らしたいから、ある程度の期間で釈放されるだろう。


ブラジルにはこんな笑い話がある


「ブラジルで殺人を犯しても刑務所に入る必要はないけれど、養育費を払わない者は刑務所に放り込まれる」


養育費を払わない → ストリートチルドレンが増える → 犯罪者が増える


こんな低レベルの所でしか犯罪を少なくする努力ができていないのがブラジル国家だ。


ニュースなんかで被害者の家族が必死に裁きを求めて奮闘している様子をみると心が痛くなる。。。


日本人には不可思議なブラジル文化をストレートに解説するサイト「Brazil×Brasil」

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2006-07-14 09:21:39

ブラジル発 ビキニで水草 セクシーレポート(動画)

テーマ:ブラジル人

前回の日記に書きましたが、最近、新サイト「BrasilxBrasil」に全ての労力を捧げているあっこちゃんです(笑)


で、いいもんが入りましたぜ、奥さん ←あんた誰?????


なんと、スタッフが前回の2002年日本でのワールドカップ開催に向けての特別企画?!


「アマゾン、マナウスよりビキニで水草現地レポート」


のビデオをアップしました~~~~~(爆)


なんでいまさらって思うけど、実は当時の日本では、まだまだブラジル女性はその存在自体が「アダルト系」とみなされて、よい子もアクセスする熱帯魚サイトでは「ブブーーーーッ!!!」だったわけで。。。

この「ビキニ」と「水草」。。。どっからどう考えてもありえない二つをまるで、創作和菓子でも作るかのようにミスマッチにビデオを作る。。。その勇気というか、ばかさ加減が、もうそれだけで笑える。。。ぷ~~~っ!


でもでも、ここで笑えないのは、ブラジル人女性のレベルの高さ。マナウスのド田舎でも、結構いいこがいるんじゃない?????なんか、意外~~~で、スタイルいいじゃない?!


多分、このビデオを見る人は、確実にレポートなんか聞いてないし、水草なんか見ずに「谷間」&「お尻」を見入ってしまうのは火を見るより明らか。。。それが女性であっても。。。


どうですか???奥さん????見たくなったでしょ~~~~

しかも、このブログにわざわざ足を運ばれた方は、間違いなく「ブラジル好き」♪


さぁ、これが、真実のブラジルです(意味不明)

というより、ブラジル人ってみんなサービス精神が旺盛なんですよね~


笑ってください。

ブラジル文化のポータルサイトBrazilxBrasil


ブラジル女性



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2006-01-17 09:19:58

ブラジリアン ワックス 脱毛

テーマ:ブラジル人

みんさんは、mixi というネット上のソーシャルコミュニティーをご存知だろうか?随分前にFushigi さんのブログで紹介されていて知ったのだけれど、最近すっかりはまっています(笑)


ミクシィの中には様々なコミュニティーがあり、わたしの周囲で今盛り上がってる話題が


「ブラジリアン ワックス 脱毛」


日本人は、他の人種に比べてそんなに無駄毛が濃くないし、恥ずかしがり屋さんが多いから自分で処理する方が断然に多いだろうけれど、アメリカはもとより、ブラジルでは「ワックス脱毛」のサービスをサロンで受ける人が断然多く、たいていのサロンではワックスのサービスをしている。ちなみに我がサロンは、わたしが担当です♪


さて、「ワックス脱毛」になんで「ブラジリアン」とわざわざつけるのか?


実は、アメリカでは屈辱的にも?辞書にも載ってしまい、ちょっともめていたけれど、アメリカで「ブラジリアン ワックス」というと、恥部の毛を極めて小さく、もしくはすっかり脱毛してしまうことを意味する。サロンによっては「お尻部分」のワックスを差す場合もあるけれど。


その語源となったのは、ブラジルの極小ビキニ。


ブラジル水着


ブラジルのマイクロちっちゃいビキニを着用するためにはかなりの部分を脱毛しないと恥ずかしいことになってしまう(笑)


ビキニ


ブラジルでよく見かける、こんなのとか、


ビキニ


こんなのとか。。。
これは、ブラジルでも注目の的(笑)
日焼け後は極めてキュート♪


前から見ると、日本でもありえるけれど、後姿が断然違うのがブラジルのビキニ。最近ではすっかり目がブラジルのビキニに馴染んでしまい、去年の夏の日本での売れ線ビキニを見た時


「デ。。。デカイ!」


と叫んでしまったわたしは、ブラジル生活が3年経過した今、ブラジルに来てそうそう、わたしが日本から持参したビキニを見て、うちの人が


「お願いだから、これは着ないでくれ。。。」


と懇願したのがよ~~~く分かったのだった。。。


でも、最近セクシー路線がどんどん加熱する日本だから、今年辺りは、ビーチでウルトラちっちゃいビキニを見かける機会もあるかもね☆

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2005-11-07 10:56:09

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 最終回

テーマ:ブラジル人

次の日の午後にゴイアニアの友人が一人飛行機で合流した。


彼の父親は大きな牧場を経営していて、みんなは我らの事を「大金持ち」と言っていたが、わたしにはそうは見えなかった。


というのも、一度彼の父親の牧場に遊びに行ったのだけれど、確かにたくさんの牛を持っているかもしれないし、カッコをつけて馬を乗り回していたけれど、どうもなんだか「セコサ」を感じた。


数回、いきつけの近所のバーで会ったことがあるが、なにせ会計が細かいのだ。先に帰る時には、きっちり自分の飲んだ分だけ払っていた。時には少なくも感じた。


その癖、自分の牧場でパーティを開いては自分の富裕ぶりをみせびらかしたい様なそんな感じを受けた。


そして、わたしは合流して来た息子が生理的に受けつけないタイプだった。彼は、親に出資してもらって建築材料の販売店を経営していたけれど、いわゆる親掛かりな人生を送っているのが数回会っただけで見て取れた。彼には、美人な婚約者がいるにもかかわらず、うちの人の弟と暇さえあれば女漁りに出掛けていた。


そして、フォタレザにも女遊びに来たことが感じられて嫌気がさした。実際、その日のうちに弟と二人で海岸近くに住む10代も前半くらいのまだまだ子供にしか見えないモレーナ(黒人と白人のミックス)を数人従えてビーチにあるバーで飲んでいた。


彼女達は、家が貧しく仕事もないから暇さえあればビキニで海岸をうろついて観光客に買ってもらう売春婦なのだ。そんなことを説明されなくてもすぐにそうだと理解できた。テーブルを囲んでも話をする訳でもなくただ座っているだけ。そんな幼い少女らにベタベタしている二人の男を蔑む眼差しで見つめたけれど、彼らにはそんなわたしの表情も全然理解できないでわたしに冗談を言ったりしてきた。


そういうバカなやつらは相手にせず、久々の海で子供のようにシュノーケルンに励むうちの人とブラジルの海を楽しむように心掛けた。


モホブランコ周辺には国が貧しい人達のために無償で建てた同じ形のみすぼらしい家がたくさん並んでいて、この辺りの人口のほとんどがそこに住んでいるのではないかと思われるくらいだった。そして、観光化が進んでいない海岸周辺にはたいしたお店もなければもちろん工場もない。男の人にいったい仕事が存在するのかが不思議でならなかった。


数日経って、食料品が不足してきたというのでビーチに一番近い小さな町へうちの人と弟、わたし、その友人で繰り出すことになった。スーパーで必要な物を物色しつつ、珍しいお菓子があったからそれもまとめてわたしが払った。


その時に、しみじみと思ったのだけれど、わたしの日本での人生において、大の大人の男が女性に支払いを全てさせるのは、日本では恥ずかしいことだという常識があるけれど、ブラジル人は気にしない。お金がある人が払えばいいと思っている。わたしの嫌いなこの友人も金持ち風を吹かせる癖に、一切お金を出す気はないのだ。だいたい、お義父さんの海の家にただで宿泊させてもらっているのだから、多少の心遣いをするべきなのではないかと思うわたしの方がここでは変わった考え方の持ち主なのだった。


そして、食料をのせた車で海の家に帰る途中、その友人はわたしの買ったお菓子が食べたいとまで言い出す、ずーずーしさに呆れてしまった。


そんな居心地がいいとはいえない海の家を10日ほどで後にしてわたし達はまた、同じメンバーで車でゴイアニアへと向かったのだった。


帰りは意外にスムーズで、車のすし詰めにも慣れてしまったのか車内ではほとんど眠っていたわたしは、気が付くとゴイアニアへと帰って来ることができたのだった。


ほんの数日間のモホブランコ周辺で見たものは、ブラジルの真実の姿なのだとしみじみと感じた。ゴイアニアはまだいい方なのだ。働く気さえあれば仕事だってみつかる。モホブランコ周辺には仕事自体が存在していなかった。だから、今も尚、あの周辺からゴイアニアへ出稼ぎにやってくる若者も多い。


毎日海岸をうろつき、観光客に買ってもらうことを覚えた少女達はきっと10代のうちに父親の分からない赤ちゃんをポロポロ産むことになるのだろう。そして、貧困は繰り返されるのだ。ブラジルには、こういう少女達がたくさん存在する。この国にはいったい何が必要なのか?教育の徹底?性教育?経済政策?あまりに混沌としていて何がこの国を救ってくれるのか考えると頭が痛くなる。それでも、何かできるはずだと諦めたくはない。。。

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2005-11-06 09:35:29

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 第8話

テーマ:ブラジル人

お婆ちゃんの家で小1時間ほど過ごした後、近くに点在するというお義父さんの親族達を尋ねることになった。


最初に訪問したのはもともとはお爺さんが所有していた牧場を次いでそこに住んでいる家族達の家だった。前回書いた様にお爺さんにはたくさんの子供がいたから、お爺さんがなくなった後は牧場は兄弟達に分配されたということだった。


ちなみに、お義父さんは長男だったのだが貧乏な牧場生活が嫌で家を飛び出してゴイアニアに出て来たという経緯があったので、遺産分配の時には辞退したという事だった。というのも、分割された牧場に住む数軒の親族達を尋ねても、誰も豊かとはいえない暮らしぶりだったから、ゴイアニアで自力で学校を出て、取り敢えず測量技師として国の機関で仕事をしていた義父の暮らしは、彼らのそれに比べると断然ましだといえた。


わたしの知っている中では、彼らの生活は「牧場管理人」レベルのものだったのだ。ただ、生活するのに精一杯でムダなものは一切存在していなかった。お義父さんのように知らない土地に一人で出ていく勇気のある人がこの田舎町にどれくらいいるのかは分からなかったが、この町に生まれてこの生活しか知らない人達は、自分達の貧困は分かっていても、どうすることもできないんだろう。ただ、自分達の土地で生活するには十分とは思えない牛を飼育して売る。その繰り返しだ。間違っても余分な収入はないから牛を増やすこともできなければ、そんな夢も思い描かない。そうやって、ただ年を取っていくのではないかと思えた。


彼らには、突然やって来た、アメリカ帰りの親族と貧しくは見えない外国人が訪問して来てもどう対応していいのか分からない。自分達には夢のまた夢である自家用車でやってきた親族に、笑顔で迎え入れることができるほど悟りを開けるわけがない。ただ、子供達は元気だったのが救いだった。


その後、違う小さな町に住む親族宅をいくつか訪問した。


ある家族は、夫婦に娘3人という女性ばっかりの所帯で、「ゴイヤバ(グァバ)」を加工して販売していた。家の裏に行くと大きな鍋でグァバをぐつぐつと煮ている所だった。火種はもちろん薪である。ただでさえ暑いフォタレザの昼下がりに、大汗を掻いて顔を真っ赤にしながらグァバが焦げないようにずっと大鍋の横について鍋をかき混ぜる作業。いったい何時間そうやっているのだろうか。そして、その横では水分を飛ばして濃縮したいってみると「グァバ羊羹」の様な物をせっせと棒状に整えて砂糖をまぶしてカットしてビニールに巻くという作業を小学生くらいの女の子が二人でやっていた。毎日毎日同じ作業を繰り返しても、「ゴイヤバ」のお菓子はありふれていて、とてもいい値がつくものではないことは、ブラジルを訪問したばかりのわたしにでも分かっていた。そこでも、家族みんな戸惑いの表情だったが、瓶詰めのゴイヤバを数個購入すると笑顔でサヨナラを言ってくれたものだ。


唯一ましな生活をしている家族がいて、幼い頃にうちの人達と遊んだ記憶のある女性は大歓待でわたし達を家に招き入れた。生活レベルが上がるほどに人間には心の余裕が出て来るものだとしみじみと思った。


つづく

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2005-11-03 10:13:49

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 第7話

テーマ:ブラジル人

caju

(写真はカジュ)

次の日の朝、背中の痛みで目が覚めた。。。


たった20分くらいの日焼け止めなしでのモホブランコツアーでここまで火傷状態になるかというくらい真っ赤に腫れあがっているわたしの背中は、キャミソールのヒモがあたるだけで激痛が走っていた。


それは、ブラジルの赤道に近い辺りの日差しが半端なものでない事を物語っていた。そして、白人のような白い肌をしていないブラジル人だとサンオイルをテカテカに塗って1時間くらい平気で日向に寝転がって日焼けを楽しんでいるのだから、それもすごい。


彼の家族は、わたしが神経質なくらい日焼け止めを塗っていたにもかかわらずこういう状態になっている事にびっくりしていた。


その日はとてもビーチに出れないと思っていたら、義父さんの家族に車で会いに行く事になっていた。車は1台しかないからまた、彼と弟、義父とその彼女とわたしでのドライブだ。


来る時、フォタレザに入った頃には周りは真っ暗で景色なんか全然分からなかったので、この日はゴイアニアとは違う海岸の近い風景を楽しみながらドライブできた。フォタレザの辺りは「CAJUカジュ」という種部分が「カシューナッツ」になるフルーツの産地だったのでところどころにカジュが実っていた。また、巨大なヤシのような形の木が野生でなく植樹されたようにたくさん茂っていて、それにしては長い間放置されているような感じがしたから何の木なのか尋ねると


「昔はレコード盤の材料として輸出されていた木だよ」


という答えが帰って来てびっくりした。わたしはレコードが木からできているとは知らなかったのだ。なんだか、そんな時代に取り残された木々達を眺めていると、このフォタレザ近くの田舎町も時代に取り残されたまま忘れられた存在のように感じられた。。。


2時間ほど乾燥した風景を眺めてドライブをして、義父の母が40才くらいの孫である女性と暮らしているという小さな佇まいに到着した。


まずは、簡単に挨拶を済ませて少し話しをした。というか、わたしは当時ポルトガル語が全然分からなかったから、雰囲気だけを楽しんだ。


お婆ちゃんはお爺ちゃんに先立たれた後、牧場からこの小さな町に移って来たようだった。オランダ系移民の子孫で小柄で白髪を肩より下まで伸ばして後ろで束ねていた。足が弱っているらしく動作は緩やかだけれど爪にはピンクのマニキュアが塗ってあり、お洒落心は忘れていないようだった。けれど、その指はどれくらい働いたかを誇示するかのように大きくてごつごつしてて、右手の親指は変形していた。日本人にしては大きな手のわたしだったが、お婆ちゃんの手と並べるとなんとも貧弱に見えて苦労知らずのわたし手を見ながら「きれいな手だね」というお婆ちゃんに対して少し恥ずかしくなった。。。とっても人懐っこく、わたしの事を気に入って、言葉が分からないのに、ソファで隣に座りずっとわたしの手を握っていた。


わたしが片言のポルトガル語で


「おばあちゃん、何才なの?」


と聞くと、大笑いしながら


「もう、忘れるくらい年をとっちゃったわ」


といってホントに覚えてないようだった(笑)


若い頃、家族で撮ったという大きな写真を持って来て見せてくれると、そこには長身でハンサムなお爺さんの姿があった。


お婆ちゃんに


「子供は何人いるの?」


と尋ねると


「14人。。。かしら?」


わたしがビックリ仰天していると


「その中でわたしの子供は9人よ」


と言った。お爺ちゃんはかなりの遊び人だったようだ。。。


そんなたわいもない会話を続けている所へお婆ちゃんと一緒に住んでいるという孫の女性が彼氏を伴って帰って来た。


彼女は、まずわたし達に挨拶して彼氏を家の中に招き入れた。すると、その男性は「モリさん」という日系人だった。


モリさんは二世だということだったが、日本へは短期訪問したことがあるだけで、出稼ぎの経験はないといっていた。なので、彼の話す日本語は両親から教わったというちょっと古めかしい表現が多かった。彼自身も当然だけれど、ポルトガル語の方が楽だと言っていた。


モリさんはブラジルで生まれ育ったわけだから、流暢なポルトガル語を話すけれど、ポルトガル語の中にも両親から躾られたのか、日本人的な気配りの表現が所所にうかがわれて「あれっ?」と思った。


ブラジルで先においとまする時に


「話の途中で大変申し訳ないけれど。。。」


と、自分はが話し掛けられている訳でもないのに謝って帰るブラジル人なんか見た事がなかったわたしには、かなり新鮮に感じた。


つづく

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2005-10-28 08:05:44

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 第6話

テーマ:ブラジル人

mr


ブラジル独特のマイクロちっちゃいビキニに身を包み、海になんか浸かるのは10年ぶりくらいのわたしは、恐る恐る波打ち際に近寄って行った。まずは、変なものが浮いたりしていないか確認しておきたかった。


モホブランコの海水は透明よりも透明に透き通っていて、日本の海岸のように海草が打ち寄せてもいなかった。砂浜も砂の粒子が小さく、歩くと「キュッ キュッ」と音がするのが小気味良かった。


そっと手を海水に浸すとヒンヤリと冷たかったが、それ以上に日差しは肌を刺すように強かったから心地よい冷たさに感じることができた。


彼は既に肩くらいの深さのところに行ってしまい早く来いと言っている。わたしもそれに続いて一気に全身を海水に浸した。周囲には子供達が浮き輪で「きゃーきゃー」いいながらぷかぷか浮いていた。


わたしも足が届くか届かないくらいの所まで行って、子供達に混じって波遊びを始めた。日本の海ではありえない大波が定期的にやってくるから、それを頭からかぶらないように波に合わせてジャンプするという単調な動作がなかなか面白い。


とはいえ、全身運動で波遊びもそう長くは続かず、まだ海の中に浸っていたいという彼を残して先にビーチへ上がることにした。


波遊びがたたって、少しヨロヨロしながら浅瀬に辿り付き、もう一歩で砂浜と言う時にいきなりそれは起こった。


引き潮に飲まれてしまったのだ!


人間は経験の積み重ねで力の入れ具合を調節するようになる生き物だ。例えば、卵を割るのに満身の力を込めると卵はぐっちゃりと壊れてしまうだろう。ケーキにフォークを突き刺す力加減はステーキに突き刺すそれとは当然違う。経験上とっさに力具合を加減できるようになっているのだ。

そして、その経験が日本に打ち寄せては引くさざなみしか知らなかったわたしには自然にゆったりとした足の運びをもたらしてしまった。。。


しっかり踏ん張っていなかったわたしの足はブラジルの力強い引き潮に一気に掬われてしまった。

あまりに一瞬のことでなにがなんだか分からないままに、浅瀬ででんぐり返りを2回転ほどして、体がめちゃくちゃになりそうなのを


「マズイ。。。ホントに大変な怪我をするかも?!」


とグルグル波にもてあそばれながら全身の力を振り絞ってその波から逃れた。


そして、次の引き潮が来る前に急いで砂浜に上がったわたしの髪はぐちゃぐちゃで、両耳に水が入って「グワングワン」といっている。取り敢えず、マイクロちっちゃい水着がはだけてなかったのだけは幸運だったかも(笑)


実際波に飲まれたのはほんの数秒だったけれど、わたしにはとっても長い時間のように感じた。けれど、実際はそれが一瞬だったという事を証明しているかのように、誰もわたしには気を止めていなかった。


モホブランコのビーチは観光化はあんまり進んでいなくても、海の家のような所が数軒あって、飲み物や簡単な料理をサーブしてくれるカルソンもいた。海に出ない彼の姉が赤ちゃんと一緒に場所をキープしてくれていたので、疲れると休憩に戻り、気が向くと海に出るのを繰り返しつつビーチでの初日を楽しんだ。


つづく

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2005-10-27 07:45:50

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 第5話

テーマ:ブラジル人

mr2


目を覚ますと、ゴイアニアとはまた違った爽やかな空気を感じた。


あいにくうす曇の空模様だったが、散歩するには丁度良く、彼はまだ足を引きずっていたけれど、昨日よりも足の腫れは多少引いていてほっとした。


義父の「海の家」から海岸までは1キロくらいの距離があるらしかったが、まだ涼やかな朝だったので海岸を少し散歩しようということになり、義姉の旦那さんとわたしと彼で海岸まで車で行くことになった。


この辺の海岸は「Morro Branco」と呼ばれていて、自然が作り上げた小さな峡谷が白いことから「白い山」という呼び名がついており、まだまだ観光化されてはいなかったが、小さなホテルが数軒あったり、露天が出ていたりして観光客もそれなりにいた。


観光客達はいくらかのお金を払ってMorro Branco」ツアーに出掛けていたので、わたし達もそれに続いた。


ツアーは渓谷の上の方から始まって、少しずつ下へ下へと下って行くというもので、ほんの30分ほどで出口に出たが、目の前にはブラジルの真っ青な空と海、真っ白な砂浜が大きく広がっていた。何よりもまだ観光化の進んでいない海岸だから人はまばらで、その美しさをより誇示していた。


海岸線を散歩しながら車を停めた辺りに到着した頃には朝曇りはすっかり吹き飛んで雲一つない真っ青な空が広がっていた。


散歩している間は回りの景色に見とれていて忘れていたが、この強い日差しの中で背中を露にした洋服で日焼け止めクリームを塗っていないことに気づいた。以前、日本の海岸で焼けど状態になったことがあるからそれ以来、海でもプールも完璧に日焼け止めを用意するわたしだったけれど、雲っていたことからつい油断してしまったのだ。


既に肩は赤くなってヒリヒリしていたが、日差しが出てからほんの20分くらいだったからなんとか大丈夫だろうと急いで家に戻ってビーチに出る準備をして出直すことにした。


そして、家に戻るとなんだか騒ぎが起こっていた。


どうやら「トイレ」が詰まったようだった。


全くブラジルの工事はいい加減そうだなぁと思っていると、義父がうちの人に何か尋ねていて、わたしの名前が出たのを聞きつけて直感で義父がわたしを疑っている事を察知した。


前にも書いたけれど、ブラジルのトイレは配管が細いのでトイレットペーパーを流せない。で、父はトイレットペーパーを流す習慣のある外人のわたしを疑っているようだった。モチロン、わたしは流していない。。。心の中で


「あんた達のうん○がデカ過ぎるから詰まったのよ!フン!」




と思いつつ、小声でペーパーを流してないか聞いてくる彼にはっきりと


「ノー!」



と言い切るわたしだった。


そして、海岸へ出掛ける途中でもよおして来たわたしは、止む無く草むらで用を足す羽目になったのであった。。。観光化されていないと、こういう所に不便が出てきてしまう。。。


そして、数歩離れた所に人間様のブツが既に横たわっていた。。。


なんで人間様のものと分かったかというと、ブツの横にトイレットペーパーが落ちていたからだつた。。。


つづく

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2005-10-22 09:51:23

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 第4話

テーマ:ブラジル人

早朝にはどうしたものかと思うほどに腫れ上がったわたしの顔だったけれど、冷たいミルクがよかったのか、午後には他人が見てもビックリ仰天するほどではなくなった。その代わり、彼の足首はパンパンに腫れ上がり、歩くのもやっととなっていた。


弟は運転したくなかったのか終始不機嫌で車内の空気は重々としていた。


二日目の夜にはフォタレザに到着できるように、早朝明ける前にゴイアニアを出たけれど、フォタレザに入った時には夜の10時を回っていた。ただでさえ標識のないブラジルで真っ暗な道だから何度も訪問している父もすっかりお手上げ状態になっていた。


誰かに聞こうにもほとんど人通りがなく、同じような道をぐるぐる回りながらどうにかこうにか義父の「海の家」に到着した時は深夜の0時を回っていた。


真っ暗な平屋の家にわたし達が到着するとぱっと電気が灯った。


誰だろうと思っていると、中からゴイアニアでわたし達を送り出した彼の姉家族がそこにいた。


彼らは飛行機で来ていたのだ。


後から聞いた話によると、彼と弟がチケット代をプレゼントしたのだとか。そして、ほとほと疲れきったわたし達に、姉は


「車でなんてほんとにご苦労様」



みたいな事をいった。そして、この瞬間にやっぱりブラジル人にとっても5千キロものドライブは普通でないと悟ったわたしだった。。。


車から降り立つと、足もとのサラサラの砂が海岸がすぐ近くにあることを思わせた。


お義父さんが誇らしげに「海の家」を案内してくれたのだが、わたしは車でグルグルグルグルノロノロ運転したせいかかなり気分が悪くなっていたし、彼は誰かにつかまらないとほとんど歩けないほどの足首の痛みで義父の話にほどほどしか付き合えず悪いと思ったが、そのまますぐにベットにもぐりこんだ。


つづく

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2005-10-20 10:58:38

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 第3話

テーマ:ブラジル人

みすぼらしいドアが廊下を挟んで左右にずらりと並んでいるが、ドアとドアの間隔を見れば、ホテルの部屋がどれくらい狭いか簡単に想像できた。


今夜はここに2部屋を取って、義父と彼女、彼とわたしと弟で眠ることになった。恐る恐るドアを開くと、4畳半くらいの室内にびっくりするくらい小さなベッド?ベンチ?が3個並んでいた。ベッドから落ちないようにとの配慮か、全てのベッドは壁際にくっついていた。部屋の一番奥に小さな洗面台が一つかろうじてあったが、想像した通りのお粗末な部屋だった。


彼の弟が「うわぁ~ 怪しい部屋~!」と奇声を上げながら中に入っていく。
それに続いてわたしも部屋の中へ一歩踏み入れた瞬間に


  「パチパチパチッ!」



と一瞬目に変な痛みが走った。


変なムシがいるのかもしれないと、持参したアースマットみたいなのをコンセントにはめこんで、どう考えても共同のシャワー室を使う気にもなれないので、部屋にある小さな洗面台で歯を磨いて顔を洗って寝る事にした。


一応、シーツも枕カバーもきれいなものを付けてあるとは思ったが、念のために顔の当たる枕の上に持参のタオルを引いて眠る事にした。次の日の朝も早いのだ。



夢の中で、顔が痒くてしょうがなかった。。。



そして、それは夢ではなかった。。。



朝起きて鏡を見ると、そこには片方の瞼が「お岩さん」のように膨れ上がって、上唇だけ「オバQ」になっているわたしがいた。。。


そして、その腫れ上がった部分は、今にも破裂しそうなくらいパンパンに膨れ上がってジンジンと痛い上にかゆみを伴っていた。。。


そんな顔を誰にも見られたくなくって、頭からタオルをかぶってうつむきながら準備をするわたし。見せてみろという彼にも、あまりに醜い顔を見せたくなくって知らん振りしていた。頑なに下を向くわたしに彼も飽きれて「勝手にしろ」とつき放した。


もう、全てが嫌になって、言葉も出て来ない。車の中でもひたすら沈黙のわたし。


ホテルには朝食はついていなかったから、出発してしばらくしてからコーヒーの飲める所に車を止めて、みんな朝食を取りに行く。


「一緒に行こう」と彼がしつこくわたしの手を引くが、とても知らない人にこんな顔をさらし出したくなくって「行かない!」と車から一歩も出ないわたしに、


「いいから、行くんだ!」


と強引に彼がわたしの手を強く引っ張った瞬間、頭からかけていたタオルがはらりと落ちて、彼が一瞬固まった。。。


「唇だけかと思ってた。。。目も腫れてたの。。。可哀想に。。。」


彼のやさしい言葉に、一瞬涙が出そうになったわたし。


「冷たいミルクを飲むといいよ」


という彼の言葉に従ってお店に向かった。


ところが、朝食を済まして車に戻ろうした時、彼が思いっきり蹴躓いた!


どうやら長時間のドライブでブレーキとアクセルを交互に踏み続けて足首がかなり疲れていたらしく、蹴躓いた拍子に足首をひどくひねってしまい、一瞬立てないくらいに痛かったようだった。


そして、到底運転を続けられる状態ではなかったので、弟と運転を交代した。


すっかりブロークンなカップルとなってしまったわたし達だった。。。


つづく

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