ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 最終回 | ブラジル発 セクシー&キュートな洋服屋の生活裏話 (格安ネットショップもオープン ダンスファッション サルサ ナイトクラブに!)

ゴイアニア~フォタレザ 2千キロの旅 最終回


次の日の午後にゴイアニアの友人が一人飛行機で合流した。


彼の父親は大きな牧場を経営していて、みんなは我らの事を「大金持ち」と言っていたが、わたしにはそうは見えなかった。


というのも、一度彼の父親の牧場に遊びに行ったのだけれど、確かにたくさんの牛を持っているかもしれないし、カッコをつけて馬を乗り回していたけれど、どうもなんだか「セコサ」を感じた。


数回、いきつけの近所のバーで会ったことがあるが、なにせ会計が細かいのだ。先に帰る時には、きっちり自分の飲んだ分だけ払っていた。時には少なくも感じた。


その癖、自分の牧場でパーティを開いては自分の富裕ぶりをみせびらかしたい様なそんな感じを受けた。


そして、わたしは合流して来た息子が生理的に受けつけないタイプだった。彼は、親に出資してもらって建築材料の販売店を経営していたけれど、いわゆる親掛かりな人生を送っているのが数回会っただけで見て取れた。彼には、美人な婚約者がいるにもかかわらず、うちの人の弟と暇さえあれば女漁りに出掛けていた。


そして、フォタレザにも女遊びに来たことが感じられて嫌気がさした。実際、その日のうちに弟と二人で海岸近くに住む10代も前半くらいのまだまだ子供にしか見えないモレーナ(黒人と白人のミックス)を数人従えてビーチにあるバーで飲んでいた。


彼女達は、家が貧しく仕事もないから暇さえあればビキニで海岸をうろついて観光客に買ってもらう売春婦なのだ。そんなことを説明されなくてもすぐにそうだと理解できた。テーブルを囲んでも話をする訳でもなくただ座っているだけ。そんな幼い少女らにベタベタしている二人の男を蔑む眼差しで見つめたけれど、彼らにはそんなわたしの表情も全然理解できないでわたしに冗談を言ったりしてきた。


そういうバカなやつらは相手にせず、久々の海で子供のようにシュノーケルンに励むうちの人とブラジルの海を楽しむように心掛けた。


モホブランコ周辺には国が貧しい人達のために無償で建てた同じ形のみすぼらしい家がたくさん並んでいて、この辺りの人口のほとんどがそこに住んでいるのではないかと思われるくらいだった。そして、観光化が進んでいない海岸周辺にはたいしたお店もなければもちろん工場もない。男の人にいったい仕事が存在するのかが不思議でならなかった。


数日経って、食料品が不足してきたというのでビーチに一番近い小さな町へうちの人と弟、わたし、その友人で繰り出すことになった。スーパーで必要な物を物色しつつ、珍しいお菓子があったからそれもまとめてわたしが払った。


その時に、しみじみと思ったのだけれど、わたしの日本での人生において、大の大人の男が女性に支払いを全てさせるのは、日本では恥ずかしいことだという常識があるけれど、ブラジル人は気にしない。お金がある人が払えばいいと思っている。わたしの嫌いなこの友人も金持ち風を吹かせる癖に、一切お金を出す気はないのだ。だいたい、お義父さんの海の家にただで宿泊させてもらっているのだから、多少の心遣いをするべきなのではないかと思うわたしの方がここでは変わった考え方の持ち主なのだった。


そして、食料をのせた車で海の家に帰る途中、その友人はわたしの買ったお菓子が食べたいとまで言い出す、ずーずーしさに呆れてしまった。


そんな居心地がいいとはいえない海の家を10日ほどで後にしてわたし達はまた、同じメンバーで車でゴイアニアへと向かったのだった。


帰りは意外にスムーズで、車のすし詰めにも慣れてしまったのか車内ではほとんど眠っていたわたしは、気が付くとゴイアニアへと帰って来ることができたのだった。


ほんの数日間のモホブランコ周辺で見たものは、ブラジルの真実の姿なのだとしみじみと感じた。ゴイアニアはまだいい方なのだ。働く気さえあれば仕事だってみつかる。モホブランコ周辺には仕事自体が存在していなかった。だから、今も尚、あの周辺からゴイアニアへ出稼ぎにやってくる若者も多い。


毎日海岸をうろつき、観光客に買ってもらうことを覚えた少女達はきっと10代のうちに父親の分からない赤ちゃんをポロポロ産むことになるのだろう。そして、貧困は繰り返されるのだ。ブラジルには、こういう少女達がたくさん存在する。この国にはいったい何が必要なのか?教育の徹底?性教育?経済政策?あまりに混沌としていて何がこの国を救ってくれるのか考えると頭が痛くなる。それでも、何かできるはずだと諦めたくはない。。。